上海・無錫・蘇州の旅


マグロ人間、旅に出る

 この旅に誘われたとき、正直3泊4日の海外旅行なんて、行けないと思ってました。そもそも休みを取ってもいいのだろうか、という不安がいつもよぎっているのは、きっと生活から仕事が離れられない性格なんだろうと、何もしない日を作ることに不安を覚えるのだろうと、根っからのマグロ人間なんだと、最近認識しているからです。

 ただ、目の前に海外旅行というチャンスがあるのなら手を挙げてしまうというのも、ゆっくりできないマグロ人間の悲しい性なのかもしれません。
 とにもかくにも、手を挙げた以上、スケジュール調整をしても準備が出発1時間半前にしかできないという中、着の身着のままやってきました中国へ! 

 無錫・蘇州・上海を時間の隙間なく巡る3泊4日、むしろこういうスケジュールだったから着の身着のままで来れたのかもしれません。

 よくよく考えたら、上海はこれで3回目になるのかな? 2回目が万博のときだから、もう9年前の話。あれからどれだけ変わってるのだろう…。

 無錫と蘇州は初めての場所。特に蘇州は『ミッションインポッシブル』の舞台になった場所。中国のヴェネツィアみたいな場所。写真と映像のイメージだけを膨らませて挑んできました。


マンションアンドマンション

異様な光景でした。それは見慣れていないからです
まだまだ建設中でした

 今回のエリアって、山がほとんどありません。とにかくだだっ広い!空が広い!でもって、高層マンションが遠くまで霞むほど乱立してる!一軒家をほとんど見かけません。あっても同じような建て方で、ある意味統一された感があって美しい感じもします。

 日本にいるとよく聞くのが中国不動産バブルの崩壊危機とか、マンションが高騰すぎて住むこともできないとか。でも乱立してる。あり得ないと思うほど乱立してる。全部の部屋埋まってるのか? って思うくらい乱立してる。マンションしか見えないから、人の息吹がしない感じがするけど、今回の無錫や蘇州って、中くらいの都市って言って600万人とか800万人とか……。

……あかん、思考を一度日本から切り離そう。

 まあとにかく、それくらいのケタ外れな規模なので、それならばマンションが多くてもいいのか、とは思っていても、あり過ぎじゃね? と思うくらい、この街は見上げれば空かマンションか。加えて乱立してるマンションが点在しているもんだから、田舎者の自分にとっては「高層マンションたくさん=その街の中心地」の構図から抜け出せなく、一体中心地はどこにあるんだ? となっていたわけです。

……あかん、思考を一度福井から切り離そう。

 もう、どこまで行っても高層マンション。どの街を見渡しても高層マンション。山がないから余計目立つ。ただ、高速を降りたら人は歩いてました(笑) 無錫にしてみれば、通ったところはキレイ過ぎる街並みで、猥雑とした感はほぼなく、どこかで見たような感じがするなーと思ってたら、30年前に一度だけ行った筑波のような感じがしました。なんか、ゼロから街を作ってる感じです。

 ただ、その並び方に美しさを感じます。同じデザイン、同じ高さ。中国の方の服装は派手でも、家はそこまで派手でもなく、落ち着いた色合い。遠くから見れば整然としていて、半ば強引ともいえる都市計画の為せる業、と言ったところでしょう。確かに強引なんですが、スピードが早い。日本だと地主さんを一人ひとり説得して、これ見よがしに値段を吊り上げていく強欲さに付き合いながら完遂していく、ということを考えると、どっちが街の発展にとっていいのだろうか、と考えさせられます。


日本文化のルートは中国

寒山寺です。ピンクの壁が特徴でしょう

  無錫は歌の『無錫旅情』がイメージとして出るのだけど、実際その歌を知らない(笑) 演歌=風情ある、もしくはもの悲しい、と思っていましたが、訪れたのは蠡湖という場所で、筑波みたいで、観覧車もあって、無人島を行き来する船の中で初めて『無錫旅情』を聞きました(^^;  無人島はかつて西施と呼ばれる中国三大美女の一人? のお住まいだそうで、彼女はそれら美女の中で唯一、奥の細道に登場する人物だそうです。

西施庄と呼ばれる、 蠡湖の無人島です。
これが現在の無錫の街の一つ

 今回はいろんなところを回りました。絹、刺繍、お茶、真珠。日本と中国は文化のつながりが非常に多く、そのルーツであったり経由地はほぼ中国。特に福井は日本最古の真珠が発掘されたり、絹の一大産地でもあったり、なかなか福井と関わりある内容だったなぁ、って。

 ちなみにね、真珠を装飾品として使ったのが発見されたのは、日本では三方五湖の鳥浜貝塚が最古。その歴史6000年前(°Д°)  中国4000年の歴史もビックリ。こちらも中国の真珠と同じ「淡水真珠」だそうです。日本の真珠は基本的に「海水真珠」で、核を入れて大きくするそうな。淡水真珠は自然に大きくなるのを待つそうな。日本最北で海水真珠を作ってるのも福井にはあります。

ここが若狭町の「若狭三方縄文博物館」です

 絹はもう、言わずもがなで福井は繊維産業が基幹産業です。今は合成繊維の技術が高いですが、江戸末期から絹織物産業を発展させてきました。機織りの歴史も文化も一日以上の長があるので、半端ない手仕事の技術を垣間見ました。刺繍の作品で3000万円なんてものも(°Д°)

 お茶も臨済宗を興した栄西が日本に茶文化を持ち込んだそうですし。って中国語と英語のパネルに書いてありました(^^;  とにかく読み進んでも読み進んでも、日本国の成立の歴史の時代までまだ出てこなく、“現在の中国というエリア”で紡がれた人の歴史の長さと深さに感服です。

ここで、“現在の中国というエリア”と書いたのは、中国って、単一民族でずっと統一されてるわけではなく、色んな民族が覇権を競って国が入れ替わり立ち替わりしてきたんです。中国という名前も20世紀に成立してます。なので“現在の中国というエリア” 。翻って日本は島国だったから、単一民族で統一されてきておよそ2000年。世界で一番古い国家とも言えます。

虎丘と呼ばれる広場の近くでした。普通に人が住んでいます

 今回登場してきた何人ものものガイドさんたち、やけにコアな日本ネタを挟んでくるから、相当勉強してるし、話が上手いというか、飽きさせない話力を持っています。


“ザ・中国”を味わいに

クルーズ船から見る蘇州。ホントはここで飲みたかった…

  そして蘇州! ここが今回一番行きたかった場所。ああいう雰囲気大好きです。こじんまりとした、ごちゃっとした空気にいろんなお店が立ち並んで、いろんな国の人が集ってる。夜もやってる飲食店があるかないかで、その場所の空気は、人の流れは変わっていきます。新栄商店街にも新しい飲食店ができたし、また変わっていく気がします。

 でもって、運河クルーズに搭乗しました。この運河は全長1700kmもあるという、万里の長城クラスの国家的事業だったようで、日本でいったら札幌から鹿児島まで行くんちゃうの? ってくらいの事業だから、相当なもんです。蘇州はその一部の一部の一部、だけど、唯一風情が残ってるから、国内外からの旅行客の半端ないこと! だから観光地として盛り上がってるんですが。中国って、観光に関しては国家プロジェクト的な部分もあるし、徹底してるって言えば徹底してるのかも。加えて中国っぽいからなおさらなんですよね。やっぱり中国に行ったら“ザ・中国”ってのを見たいです。ジャッキー・チェンの映画のような、ごちゃごちゃした、日本文化の原点のような空気感というか。

運河言うても結構幅は狭いのでいい感じの近さです

 あ、そういえば、9年前と明らかに変わったな、って思ったのが、自転車の少なさ。代わりに原付がめちゃくちゃ走ってる。でも、エンジン音がしないから、節約して走ってるんかいな、と思ってたら、電動自転車の類いだったってこと。原付ちゃうんかい! ってくらい原付っぽい電動自転車。4万円くらいだっていうから、ちょっと欲しいな、って思いました。

二人乗りの傘さしという、かなり強気な乗り方(笑)
これって、歩道を走っていいのか車道を走っていいのか…。両方で見かけました

 とまぁ、蘇州の運河クルーズに乗ってみると、一般庶民の暮らしもそこにあるんです。9年前に見た田子坊も、底辺級の中国人の暮らしがそこにありました。下手するとコーヒー一杯分の値段が彼らの数ヶ月分くらいじゃないのか、ってくらいの。そういう人たちとこじゃれた店が同居する街、それが田子坊でした。蘇州もまたそれに近い、それよりはもうちょい上のクラスの人たちが住む世界。スマホとかいじってたり、エアコンあったりしてたんで(^^;  そういう世界の中をゆっくり進んでいくのは何とも言えない雰囲気でした。一番味わいたかった中国を感じた瞬間でした。

ふと、彼らの暮らしを見ながら、「いつも何を考えて生きているんだろう、将来の夢とかあるんだろうか」とか考えてしまいました。日本はどちらかと言えば選択肢が豊富で、どう進むかは個人の力で何とかなりそうなんですが、いかんともしがたい“ガラスの天井”が国民内にありそうな、そんな感じがしました。いや、今の日本でもそういうのはあるのかもしれないす…。

両脇とも一般の人が住んでいる家です

 そして最終日、とうとう上海へ。9年前とは明らかに違ってました。街の度合い、整備の度合い、人の度合い、こんなに変わっていくもんだと感心しきりでした。無錫と蘇州を見た後に上海に感じたのは、開発が古い、ということでした。

雑然と一つひとつが個性を発揮して伸びている高層ビル、高層マンションに囲まれて崩壊している昔の住宅、戦前の空気が残る街並み、“ザ・中国”の空気が残る裏路地。整然としていない、カオスこそが上海の魅力とも言えるでしょうね。

ガイドさんは無錫や蘇州が何千年もの歴史がある中、上海の歴史は400年ほど、と言ってました。その分、現代開発は一番早かった。けれども中国の開発スピードにしてみたら、数十年で古くなっていた、という感じでした。でも、上海=キレイな街は似合わないですね(^^;


9年で変わったもの

  ところで、9年の間に変わっていたもの。“栓抜きビル”の異名を持つ、通称・森ビル(正式名称は上海環球金融中心、上海ワールドフィナンシャルセンター)が一番じゃなくなってたこと(笑) 「夜景は一番高い森ビルからだろう」と思ってたら、隣に何だか見慣れない、森ビルよりも高くね? と遠目で見えたビルは、この9年間に出来ていた、ドバイブルジュの次に高いビル、上海タワー。森ビルの展望台が100階、上海タワーの展望台が夜遅くまでなら118階。行くしかない。ツアーには含まれてないけど行くしかない。ついでに観光トンネルも行くしかない (笑)

真ん中のひときわ高いのが上海タワー

 で、その前に行った田子坊と豫園、正直一番ビックリしました。変わりすぎてる…。豫園って、あのジグザグの建物がメインだと思ってましたが、隣接してる昔の建物にはスタバもあるし、お土産もあるし。人がいすぎるし。…自分が知らなかっただけなのか??  確かにお土産は興味なかったからなぁ…。

ある意味中国らしい観光地かも。昔風の建物にお土産っていう

 そして田子坊。かつて見た底辺級の人たちの姿はなく、全部お店に変わってました。それも、原宿ばりのごちゃごちゃ感。売ってるものは中国らしいのもありますが、“映え”るものがめちゃくちゃ多くなってました。さらに人アンド人! 落ち着く場所とは程遠く、確実に普通の観光地と化していました。ただ、迷路みたいで面白いので、3時間は余裕でいられます。

こういうバーで飲みたかった…

 外灘の夜景はさらにパワーアップしていた気がします。昼と夜ではまるで見せる顔が違う外灘。光での演出は見事としか言いようがありません。観光トンネルもまたしかり。上海タワーのエレベーターは秒速18m、ってことは時速64km!? 恐ろしく早かったのだけは覚えてます。
 山がないから夜景が地平線まで続くような、そんな風景でした。雨がザンザカ降ってたんですが、ちょうど、ホントにちょうどのタイミングで雲も晴れて、キレイな夜景を残すことができました。晴れ男の面目躍如でした(笑)

奥が昔の建物群、手前が新しい建物群
来るまではここが一番だと思ってた、“栓抜きビル”


パワーの源はどこから

 ここでふと思いました。ずっと街で見てきた電動自転車、いつまでも明るい外灘の夜景、途切れない車の波。街が発展すればするほど、消費するエネルギーも増大していきます。ガイドさんは言ってました。中国人は人生が30000日“しかない”と考えるから、今やりたいことをやる、という感覚なのだそうです。そう捉えると彼らの言動がわかる気がします。食べたいものを食べる、行きたいとこへ行く、欲しいものは買う。欲望に忠実ですが、それが国のパワーを生んでいるのも確かです。特に食は凄まじいです。みんな、どこでも買い食いしてます(笑) 特にソーセージ。

 では、そのパワーを支えるエネルギーはどこから来るのだろう、と、ふと思ったんです。何か中国の街を見ていて違和感を覚えていたのですが、その理由がわかりました。“食の生産現場”が見えなかったことです。通ってきた街には、広い国土はあっても、工場とマンションだけがあり、田んぼも畑も見当たりませんでした。既に中国は食料輸入国になっています。彼らのパワーを彼ら自身で支えられなくなっています。それでも人々の目の前にある欲望はとどまることを知りません。世界も彼らを支えるほど潤沢でもないでしょう。

 中国やアメリカは自国ファーストを掲げ、目の前の欲望に突っ走っているなぁ、と感じています。ニュースにはならないけれど、世界に漏れ聞こえる各地市民のシュプレヒコールは、官民欲望一体主義に対する未来志向の人たちによるアンチテーゼとしても聞こえます。みんなで「今」を求めていたら、きっと破滅への道に進んでいくでしょう。せめて食だけは、福井県が推進する「食べきり運動」を中国全土でやって欲しいものです(о´∀`о)


日本について

  あと、これは日本人全員が抱えてしまっていることだとは思いますが、潔癖過ぎてしまってないかな、ということでした。うちらのごはんの際のテーブルセッティングを見ていましたが、「おいおい汗」って感じでした。でも合理的で効率的なんです。頭で合理的とわかっていても、それを許せなくなってる自分たちがいるというか。中国だからそれも許せたのですが、日本なら結構なバッシングもになるよなぁ、って。

 そこに国民性の差があるな、とは感じました。どちらがいい悪いではないです。効率性を敢えて取らずに型式美を追い求めた日本だからこそ、今の世界に誇るべき美しい日本があるのですから。人数が多過ぎるが故に合理的に考えて前進する中国があるのですから。

※写真はイメージです。上記文章とは関係ないす。中国の空気感が見たくて撮ってました

※写真はイメージです。上記文章とは関係ないす。中国の空気感が見たくて撮ってました

※写真はイメージです。上記文章とは関係ないす。面白かったんで撮りました(笑)


対中国向けの福井を売る

  既に中国の富裕層は日本の人口をとっくに超えています。まだまだ増えていくでしょう。まだまだ欲望は尽きないでしょう。彼らの「やりたいことをやる、行きたいとこへ行く」の代表的矛先は日本です。昨年でも800万人以上が日本を訪れ、1兆数千億円もの消費がなされており、ビザ緩和などの施策で潜在人口は3000万人とも言われているそうです。韓国、香港、台湾は既にリピート率が高く、ここに中国のリピート率が高まった日には、恐ろしいくらいの数がやって来ます。

 リピートする訪日観光客は、より地方へと向かいます。今も順番に地方が注目を浴びています。これまでの流れで言うと、東京→京都・大阪など関西圏→北海道→沖縄→九州→金沢など北陸→四国→山陰と、大震災の影響もあっての東北はまだですが、次々に認知度を上げて行っています。

 福井ですか? ラストフロンティアと勝手に思ってます(笑) 日本国内においてもまだまだ認知度の低い福井、世界からしたら、もっと低い。だからこそ、海外からこれから注目を浴びるきっかけにもなる、と、勝手に思ってます (笑) そう考えると、やっぱりベタなんですけど、“ザ・福井”が求められるんだろうな、って。「ここにしかない、福井のモノ・コト」でしか人は動かないな、って。

 中国人の欲望を満たすとするなら、それこそプライベートジェットで福井空港にきて、リムジンで越前海岸に行って越前がに「極」を死ぬほど食べる、というツアーを500万円で中国国内のみで売り込んだりするとか(о´∀`о) 景勝は海以外は結構中国のほうがスケールが大きいのと、伝統工芸も中国ルーツもしくは経由地というのもあってもの珍しさがないのと、めがねも恐竜も同じように三大産地の1つなのと、って考えると、残るのは食で、海の幸を欲してるから、日本で一番のを考えると、越前がににたどり着く感じです。

福井の人は“せいこちゃん”好みだけど、県外の人も好きになってきたので高騰してる…

 でも、それが“フック”になって訪れてみたら「お、意外とこんなのもあるんだ」になっていくだろうなー、って。まずは知ってもらう、という行動が先にあるな、って感じました。


さいごに

  移動に次ぐ移動で駆け足な旅行でしたが、いろいろと考えさせられることは多く、福井にフィードバックすることもいろいろできる旅となりました。
 最後の最後、空港でタバコを吸ってたとき、隣にいた西洋人と少し話をしました。彼は12時間半しか上海に滞在しなかったそうで、何の仕事してるのかを聞いたら、ある世界的オークションのオーガナイザーだったという(°Д°)
 世界は広い。ずっと福井にいて、視点を国内にのみ向けていましたが、世界もアリだよな、って、福井にいながら世界を見据えよう、なんて気持ちになりました。やっぱり中国行って良かったです。海外はやっぱり行って見聞を広めた方がいいです。長文読んでいただきありがとうございました。

中国語、話してみましたが、結構やられました…。まだ勉強不足でした…

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