兄と

先日、兄が友人とともに福井を旅行しに来ました。久しぶりの帰省なので、話は尽きないんですが、せっかく時間があったので、得意の「エキマエまちあるき」を敢行しました。当たり前だと思っていたことが、実は意外と知らない、ということも判明しました。
例えば福井藩初代藩主・結城秀康公の父は誰か、って。みなさん知ってますか?
答えは………、徳川家康。
なんで? って思うでしょう? 当時の福井藩は関が原同様、戦の要所でもあったんです。それに北にはどデカい、外様大名の加賀藩があったので、抑えておく必要もありました。ので、福井藩は親藩として68万石の大きな藩だったんです。もちろんお城も大きかったんです。

今のエキマエはすべてかつてのお城の中。そうした話をしながら歩いていたら「まるでブラタモリやなぁ」と。そりゃそうだろうな、『ブラタモリ』って、街の知られざる歴史を巡る番組だし、エキマエのまちあるきってそんな感じだし。
ってなことで、ビール屋さんのバイトの後、夜の会食に乱入するんですが、友人やかくれわ食堂のひろえちゃんに兄が言っていたのは「弟はめんどくさい男だから」と(笑)。これ、悪い意味とかで捉えてなく、なるほど、と、感心したんですよ、実は。
めんどくさいとは
めんどくさい。これってなんだろうか、と思うわけですよ。自分的には結構「雑」、「ルーズ」なところがたくさんあって、正直細かくもないです。めんどくさい=細かい性格、って思っていたので、この言葉を自分に当てはめる、ってのが意外だったんです。
でも、嫁に言われました。「間違いない」と(笑)。じゃあどんなところが、ってことなんですが、「例えば、実家にごはんを食べに行ったとき、どうでもいい、流してもいい話題が深掘りされていく会話を聞いてるとそう感じる」とのこと。
あー、なるほど。きっと、周りがめんどくさいと思っていることは「話」なのだと。話を突き詰めてしまうのは、取材ライティングの仕事をしてきた結果であって、もはや曖昧にはできない、したくない性格になっているというか。
何故を5回
行動には必ず理由があります。人間って、いつだって思考→決断→行動→思考→決断→行動の連続で、取材って、人に伝えることって、その思考の部分を追求するものだと考えています。だから取材では「何故?」をいつも5回繰り返してきました。
それを一般の生活に落とし込んで追求しても、正直そこまで考えていないものなんですよね。一般生活で瞬間瞬間の行動って、突発的なものなので、深く考えていないってことなんですよ。簡単に言うと何を食べるかとか、どっちの道を行くかとか。それを追求するもんだから「めんどくさい」になるんだと。
そりゃあめんどくさい(笑)。極みだな(笑)。聞いていくと「めんどくせーなー、どうだっていいが」と言われることもままありました。かといって、それを直そうなんて思いません(笑)。なんでって? だって普段から考えたほうがより良いと思っているから。
未来のために考える
実は考える、ってめんどくさいんです。五体満足であれば、すべての感覚で直感的に動く、ということがあるので、いちいち熟考しながら行動しなくたって、どうにでもなるんです。ただ、それが後々の人生に響くことだってたくさんあるんです。突き詰めて考えれば、あのときこんな行動したから、今こんなことになっている、とか。意外なところで意外な方向に進んでいくのもまた人生ではあるんですが。
だから、そのときに後悔しないよう、考えよう、ってことなんです。よく「もっと学生の頃に勉強すればよかった」って言う人いません? そうなんです、日々の欲望に負けて勉強を疎かにしてしまって、後々そういう言葉が出るんです。自分も含めて。なので今、考える習慣が必要なのだと思っています。
もちろん、未来がどうなるかはわかりません。ただ、思考することを諦めないで、学習することは大事なんです。よく中学校での講演でこう伝えていました。「国語が一番大事」と。日本人である以上、頭の中で考える言語も、人に伝える言語も、人から聞いて理解する言語も日本語です。日本語がわからなかったらコミュニケーションができません。だから中学校の時点で日本語の読解力をしっかりつけましょう、という意味で伝えています。
利他的な思考
この年になると、出会う人って何らかの組織の長だったり、社会において任せられている人だったり、これからの社会を担おうとする人だったりなんです。彼らが何も考えていなかったら、そりゃあ下の人たちは困惑します。
考えて考えて決断して行動しなければいけない人たちです。その決断と行動が、例えば理解されるもの、納得されるものであれば、人は動くんです。そしてその決断と行動が利他的であればあるほど、共感を生み、団体としての行動が成されるものです。だから考えてほしいんです。
これが利己的だったらどうでしょう。共感されるでしょうか? されませんよね。今、「our brewing」というクラフトビール屋さんでバイトしてるんですが、何でも興味があって、何でも好きなように見えるらしく、逆にお客さんから「嫌いなものってあるんですか?」と問われ、ちょっと考えて言ったのが「今だけ、金だけ、自分だけ、って人と思考かな」って答えました。
どんな人かというと、例えば、話をしている内容の「主語」が自分である人、爆速で儲けることに執着する人、スタートアップで立ち上げて売却することを考える人、目の前の売上だけを見ている人、かな。
もちろん人の人生なんて、地球規模で見れば取るに足らない瞬間なのかもしれません。でも人規模で見れば80年、100年という長い時間です。そして人の人生って次につながっていくんです。自分の人生が終わったとしても、その意思とDNAは次に続くんです。親子もそうでしょう? 生きるって、そういうことだと思うんです。だから瞬間かもしれませんが、生きている間は考えることを促すんです。
昨年から永平寺のお仕事で禅について学んでいるんですが、自分がこれまで考えてきたことと合致しているようで、よりその傾向が強くなっている感じがしてます。それもまた、めんどくさいの一助となっているんですが(笑)。兄が翌日に坐禅に行くと言っていたので、「坐禅をする際は、何か目的をもって坐禅をしてはいけない。無だ、nothingだ」と言ったら「めんどくさい」と(笑)。
御上先生

そういう意味で見れば、今、TBSの日曜劇場『御上先生』ってドラマはもうど真ん中。ドハマリしてます。ティーチングではなくコーチング。「考えて」、「考えてみよう」と生徒に促す姿勢は、これだよ、って思っています。何度も見返してます(笑)。
役者さんたちの演技も、2人除いて素晴らしく、リアル感が非常にあります。引き込まれる、とはこのことかと。映画を毎年作っているからか、そういうところに目が行ってしまいます。演技をしていない演技、と言うのでしょうか。
考える機会をたくさん作って成長を促す姿勢。これこれ。みんな、考えよう、って伝えるドラマ。流されてしまってはいけない、考えて行動して、生きる力をみんな持とう、って伝えるドラマ。もうね、是非見てほしいです。さすがTBSの日曜劇場って感じです。
最後に

かくれわ食堂のひろえちゃんに言われました。「二人ともめんどくさい(笑)。にしてもホント二人仲良しやね。でも、そんな二人の性格を作っていったお父さんが素晴らしいってことやよ」。父の背中、父との会話、父との思い出、それらが自分たちを形成してきた、ということです。人は死んでも次に残していく、残されていくのです。あ、父は健在です(笑)。

こうつらつらと書き出してきましたが、最後まで読んだ皆さん、めんどくさくてすいません汗 でも、めんどくさくても考える意識は持ちましょう。