日本人の根幹のようなもの
年末年始の家族旅行は、毎年恒例となった和歌山県。白浜がメインなんですが、一昨年から熊野参拝も行くようになりました。民俗学をちょびっとかじってたので、神社とか神様はとても興味があります。特に熊野信仰は日本人の根幹的なところにもありますし、毎年同じだとしても、行っておきたい場所でもあります。
しかしですが、熊野信仰とはどういうものか、どういう歴史を辿ってきたのか、あまり知られていないのでは、と思ったりもします。世界遺産ということでにわかに観光客が押し寄せていますが、本宮大社近くにも世界遺産センターがありますので、是非ともこちらも行ってみると、また違った見方ができると思いますよ。
宗教と信仰は違うもの
ちなみに熊野信仰は宗教とは違います。宗教って、それを作った人が存在してます。仏教ならゴータマ・シッダールタが、キリスト教ユダヤ教イスラム教に関しては同一の神様が存在してます。対して信仰というのは、相手が自然だったりします。大きな岩や樹、尋常ならざる自然災害に畏敬の念を覚え、神々しいものとしてあがめたてまつりました。いわゆる自然崇拝という考え方です。自然に沸き上がった、敬う心、それが信仰なんだと思います。熊野は、行けばわかるのですが、とにかく山山山。現代だとしても、“何か”があるような空気感が漂っています。もちろん、ずっと以前から熊野信仰という言葉があるから、そのイメージが現代にもついて回って、何かを感じるような、そんなイメージを持ってはいますが、そうだとしても、率直な感想として「よーこんなところまで昔の人は来たんやねぇ」です。
無茶苦茶な時代
で、伝来した仏教と、熊野をはじめとした日本古来の信仰を一緒にしてしまおうと昔の日本人は考えたんです。 為政者は仏教を国の支配のために使ったからです。宗教と政治は古来から洋の東西問わず、深く結び付いてきたもの。まぁ、今から見ると無茶苦茶な論理です。信じるものが違うのに、「明日から一緒にします」って、そんなあり得ないことをやっちゃったんです。それが、「本地垂迹説(ほんじすいじゃくせつ)」といいます。これまであがめていたのは仏様の化身である、という“神仏習合”の考え方ですね。この考え方が改められて神仏分離令が発令されるのが、約1000年後。長い長いお話です。
それから100年以上経って生まれてきた私たちにしてみれば、これらの話は歴史の事象の一つになっていますが、常識が常識でなくなる世界は確かにありました。これは手塚治虫の『火の鳥 異形編』を読んでから『火の鳥 太陽編』を読むと感覚的にわかりやすいかもしれないです。
宗教に関する持論をば
ここは横道に脱線するので、飛ばしてもらっても結構です笑 これは持論なのですが、宗教はホモサピエンスが誕生する前から存在したものでもなく、経典にしろ儀式にしろ、その宗教を作った人は作ってなくて、後世の人間が産み出したものに過ぎない、と思っています。どの宗教にしても最初は人間が人間らしくあるための在り方を説いているだけだと思っています。人間は人間である以前に動物であり、種の保存のために、“猿山のボス”になりたい欲求のために、争うことを止めません。宗教はそのアンチテーゼとして生まれたものだと思います。が、歴史を振り返ると、宗教のために命を落としてきた事象もあります。本末転倒というか、時代が下れば下るほど、作った人の思いは薄れていくもので、結果、宗教のなかった時代と変わらなくなってしまうというか…。せめて自分はバカと呼ばれても正直に生きよう、そう考えるようになりました。
2000年の観光地
閑話休題。さて、福井から車で5時間で着いた熊野速玉神社。今回は昨年夏に妻が事故に遭ってもなお無事でいられたお礼も兼ねて来ました。昨年は大阪から回ってきたので速玉神社は最後でしたが、今回は三重回り。福井からだと新名神経由が圧倒的に近いです。
この、和歌山県の太平洋に面した地域は“最果てに来た感覚”があります。若狭町の常神半島で感じる“最果てに来た感覚”とはまた違ったワクワク感があります。和歌山県の県庁所在地・和歌山市からでも3時間近く。名古屋からでも3時間。でも、世界中からこの地を目指してきます。だって世界遺産・熊野古道があるから。
熊野詣はこれで3度目の盛り上がりを見せているようです。最初は平安~鎌倉時代に上皇の行幸が幾度となく行われました。次が江戸時代に紀州藩主徳川頼宣公が再整備をして盛り上がり、そして平成~令和時代に世界遺産登録後にブレイク。歴史の教科書じゃない、平安時代にリアル感が湧くのは、2000年続く観光地の底力というか、なんというか…。やっぱり重さ・深さを感じます。
祈りの世界
で、皆さん何をしに来るのかというと、御朱印をもらいに来てるわけではないです(笑) 写真を撮るためにも来てないです。観光が主たる目的ではありますが、 大事なのはお参りに、お祈りに来てるんです。 神殿を前にすると自然と手を合わせていきます。鳥居をくぐる前に一礼をしていきます。長い階段でも老若男女上っていきます。実際に「二礼二拍手一礼」は決まりではないので、どんな形でもいいんです。祈る形など本当はありません。心の底から思う気持ちが、自然と手を合わせていくんです。
もちろん、現世利益的なお参りは多いと思います。それもまた自身の内なる思いからの祈りです。祈ったから叶う、なんてことは誰も思わないでしょう。でも、祈ることと祈らないことで、その後の行動に対する感覚はぐっと変わると思いませんか。「祈らなかったから上手くいかなかった」、「祈っておいてよかった」と、どこか心の奥底で感じることがあると思うんです。
この考え方は仏教的考えと日本信仰の融合的な考え方でもあると思います。この日本を作った祖先に畏敬の念を持ち、日々健康に過ごせることを、難関突破を祈念する。日本人はいつの時代も臨機応変に外来の文化を取り入れ、合理的に都合よく解釈して新しい文化を作り上げます。祈るという日本人の根源的なものもまた、臨機応変に対応して今があります。まぁ、言うても全部人間が色んな解釈で作り上げたものだしね、時代の変遷と共に何だってありっちゃあ、ありなんだよなぁ、って、このコラム書きながらそう考えるようになりました笑笑
マグロの矜持
さすが太平洋、名産はなんといってもマグロ! 那智勝浦はどこを見渡してもマグロマグロマグロ! この時期に越前海岸がカニで賑わうように、こちらはマグロを推してます。
あまり赤身魚を食しないので、ここまでマグロづくしは重い、とは思いましたが、そうでもないのが本場ならでは。聞くと、勝浦漁港でははえなわ漁で捕った生きたマグロを神経締めしたものしか水揚げしない、という徹底具合。冷凍ものは揚げない、福井では多く見られる底引き網漁は絶対にしない、という徹底具合。底引き網漁をすると、マグロの稚魚まで揚がってしまうからだそうです。マグロという自然の恵みを安定して水揚げできる環境作り、産地としてのプライドとブランドをしっかり持って生きている感がありました。しばらくはおなか一杯食べられないので、来年こそはがっつり食べたいと思います。
魅力は人が決めるもの
今回一泊目に選んだのは、熊野古道の休憩地点でもある高原集落の、『霧の郷たかはら』さん。嫁が「絶対にオーナーと合うから」と勧めた場所は、正直「ホントにこの先に人が住んでるの?」と思うくらいの峠道を進んだ先にありました。霧の郷というくらいなので、周りが霧に包まれ見事な雲海が窓の外に広がります。
こちらの宿、「TripAdviser」でことごとく高い評価を獲得し続けています。2018年にはホテルアワードで国内3位という成績。はっきり言って交通の便は良くありません。絢爛豪華な造りでもありません。言うなれば限界集落に宿がある感じです。でも半端なく高い評価。その秘密はオーナー自身が半端なく楽しみ楽しませる気持ちと、英語に尽きるな、と思いました。
働いてるスタッフにはフランス人やメキシコ人、訪れる人は欧米豪と、これまでの観光地に見られるアジア圏ではないエリアからしか来ないという異質さ。こんな山の中のこの空間だけがインターナショナル。ホントに不思議な空間です。
オーナーは15歳からイギリスに渡ることになり、その後スペインにも移り、国際感覚を身につけて帰ってきました。で、元々和歌山県が運営していたのを買い取る形で今があるそうです。今、熊野古道がトレッキングとして欧米の方々に人気があるということなのですが、英語ががっつり通用する宿が、古道近辺にあるかといえばそうでもないのでは、と思います。だから英語がペラペラなこちらは、どの国から問い合わせが来ても対応できるのだろうと、そして、この空間を楽しんでもらおうとオーナーは全力でおもてなしをしてくれます。
ここは元々200人くらいの集落だったそうですが、今は40人くらいまで減ったそうです。さらにそのうち移住してきたのが20人くらい。となれば、ほぼほぼ人が住まなくなった地域です。自給自足が難しくなった現代社会において住みにくい、というのはあります。きっとずっと住んでいる方にしてみれば、「何もない」と言うでしょう。でもですね、何があるかないかは、旅に訪れている人の判断、主観だと思います。住んでいる人の判断、主観ではないんです。自分はやっぱりもう一度来たいと思いました。非日常の世界を歩いているだけで、十分旅をしてる感覚になるんです。福井の街も「何もない」と言う人もいます。それはきっとその人の主観であって、県外や海外から来られた方が「たくさんあった」と思ってもらえるような「コト」を私たちは提供していった方がいいんだろうな、って思います。「ハコ」はもういいかな、って思います。
期間限定だから美味しい
今回の旅で食べたかったものがあります。熊野も含めた和歌山・三重・奈良の名物「さんま寿司」と、「めはり寿司」。福井でいうと鯖寿司みたいな感じで、さんまのお寿司なんです。
一昨年は大晦日に来たのですが、このさんま寿司が山のようにあって。聞くとこのあたりの人は正月のときに食べるそうです。一人一個なんてもんじゃない、大量に買って帰ります。もはや家族で分け合うじゃなく、一人一本クラス。ちなみに、この場所は近くの海に面した街まで40㎞離れているんです。こんな山の中でもさんま寿司は伝統料理。いろんなお店がさんま寿司を作って売っています。地域全体の料理って、地域の人に愛されて初めて成り立つもの。全国的にマイナーだけど、ある一定の地域では超メジャー。晩秋に獲れる脂が抜けたさんまを使うそうで、いうなれば冬の伝統料理。こういうのって、季節感があるからおいしく感じるんです。それが「売りたい」がために通年で出してしまうと、その価値は下がっていってしまうんです。期間限定なのは意味がちゃんとあるんです。そうやってブランドは高められていくんです。福井でいうなら水ようかんでしょうか。11月から3月という期間限定が、美味しさを引き出しているんです。販売が始まると「もう冬かぁ」、販売が終了すると「もう春かぁ」と、カレンダーで確認するのではなく、食べ物で季節を感じる。そんなお菓子、まぁまぁないですよね。それは福井の誇り、だと思っています。
そして白浜へ。
旅のメインイベント、であるはずだった白浜のアドベンチャーワールド。もちろん行きましたよ。でも滞在時間は数時間。見たのはパンダだけ(笑)
実は1日の夜には福井に、ということだったので、早々に帰ったのですが、もう一か所、和歌山で見たいところがありました。和歌山城の庭園です。
あまり人気がありません。そりゃそうだ、みんな天守閣に行きたいですから。でも、自分は天守閣ではなくこの庭園が見たいと思っていました。なぜかというと、好きなマンガに出てきたからです。『へうげもの』、ご存知ですか? 古田織部という茶道とともに生きた戦国武将の物語なのですが、彼の弟子である上田宗箇が作庭したのがこの和歌山城の庭園だったのです。古田織部もこの庭園を褒めており(マンガの中ではね)、それならちょっと見てみておきたいという衝動に駆られ、やっとたどり着きました。確かに見事な庭園でした。お城の中なので、養浩館庭園とはまた違った感覚ですが、乱暴にも見えながらも計算したようなごつごつの岩の配置はとても素敵でした。
こうやって旅をつづってみて、つくづく民俗とか歴史とか好きなんだなぁ、って思います。特に民俗学。神様とかのお話。昔の人の希望や願望が形になったのが今まで続いているって、そうそう世界を見渡してもないです。本当に日本は奇跡の国だよなぁ、って思います。そんな和歌山の旅でした。