怒る、怒らない。

怒るの苦手

コロナで自粛が余儀なくされて、ストレスかかりっぱなしの日本。 SNSじゃあ誹謗中傷が飛び交って、国会答弁はいつも怒号が飛び交って、そんでもって家庭内でもケンカばっかりで。 「コロナ離婚」って言葉も出て、結構日本中は怒りに満ちているのかなぁ、って思います。

喜怒哀楽って言葉があるように、怒りって人間の基本的な感情の一つだとは思うんです。怒ることで逆にストレスが発散されるという人もいるでしょうしね。

ただ、自分としては怒らない性格なんです。感情を爆発させて怒ることはありません。家庭においても仕事においても、人生においてもほとんどありません。

なぜかって? 実は怒るの苦手なんです(笑) 怒れない、と言った方がいいかもしれません。怒った後の接し方がわからないんです。どんな顔して、どんな声を掛けて、どんな対応をすればいいかわからないんです。

仕事でも怒らないです。20年勤めていて怒ったことは1度あったかな、って感じで。そのときは二日酔いでしたが(笑) 以前仕事で「怒ってるとこ初めてみた」って言われたことがあったんですが、そのときも怒ってはいなかったんです。

だから、みんななんで怒るんだろう、って普通に疑問に思っています。怒るとよりストレスかからないんやろか、って思っています。巷は怒りっぱなしだから、それに対する自分なりの見解をまとめてみました。

怒りの原点

人が怒るときって、きっと、「自分の思った通りになっていないから」に尽きると思うんです。「片付けなさいと言ったのに、なんで片付けていないの!」、「これやっとけっつったろ!」、「何割込みしとんねん!」、「あなた、こう言ったでしょ!その通りやってないじゃないですか!」、こんな感じ?

相手が思った通りにならないから不満に感じる。思った通りに出かけられないから家にいなければならない。思った通りに行動していなかったから文句を言う。

思った通り、というのは、イコール期待している、ということだと思います。相手にそうあってほしいと期待する、相手はそうするだろうと期待する。

でも、相手はその通りには動いていない。だから不満に思って口に出す。不満を聞けば相手だって同じく期待していたから不満を口にする。それが積もり積もってケンカになって、別れてしまう。

期待って、願望であって、確実な未来ではないんですよね。ただ、確実な結果があったから期待する、というのはあると思います。仕事なんかは実績を見て仕事をお願いしますよね。この人はこの仕事をしていたから、この仕事はできる「だろう」と。そう、「だろう」なんです。もちろん仕事はその「だろう」という期待に応えてこそ成立するものですが。

プライベートだとどうでしょう? 選んだパートナーはこういう人だから、こう伝えたら理解する「だろう」と期待するんだと思います。でもそうじゃないから、パートナーだから、ちょっとした甘えも存在しているし、不満を口にする。

人間という生き物

でもね、人間ってロボットじゃないから、正確無比なことはないと思いますよ。誰だって「抜け」ってあると思うんです。それに寛容になることが大事なんじゃないでしょうか。相手に「抜け」があるように、自分にも「抜け」はあるんですから。自分の「抜け」を棚に上げて相手の「抜け」に目くじら立てても、逆の立場になったとき、もうぐうの音も言えないですよね。自分には「抜け」がたくさんある。だから人のことなんか責めることなんてできない。自分が怒らない理由はここにもあります。

何でもかんでもきっちりし過ぎると、今度はそれが価値観になってしまって、相手を受け入れられなくなります。価値観を押し付けたとしても、相手はその価値観の範囲内になかったらストレスになりますよ。で、それは逆も真なりで、相手からそうされたら自分だって嫌な気持ちになりますよね。

70億人がいたら、70億通りの価値観があるんです。それが人間社会なんです。一人として同じ人はいません。双子だって育った環境で徐々に変わっていくでしょ?

その価値観を受け入れる。「だろう」って考えるなら「あの人とは考え方違うだろうな」。それでいいんです。違うから面白いんです。だから自分では考えつかなかったことが出てくるんです。そうやって人間は生き続けてきたんです。

怒る人の特徴

さて。ここからです。怒る人の特徴は、会話をしていてわかります。自分が常にNGワードとして使わないように努めている言葉をよく使う人です。それは、

ダメ

違う

アカン

絶対

みなさん、これらの言葉、会話の中で使ってませんか? これらの言葉を多用している人は、自分の価値観が正しいと信じ込んでいる人です。自分が正しいから相手の考えを上記の言葉で遮ってしまうんです。さっきも言いましたが、価値観は多様なんです。相手の言葉に上記の言葉で即座に返してきたら、「もったいない…。残念な人だ…」って思ってください。ちなみにそういう人は、周りから信用されにくいです。周りに人がいたとしても、それはうわべだけの付き合いとしか思われてない可能性が高いです。こういう人は誰が言っても基本聞く耳を持ちません。自分で気付くしか、変われないと思いますよ。

「じゃあ反論はしたらあかんの?」となりますが、反論はしてもいいです。反論するのなら、相手の言葉をまずは受け入れることが必要です。「なるほどそういう考え方もあるね。でも自分の考え方は…」というように、「Yes,but」という心がけが必要です。

怒らないために

以上のことを踏まえ、怒らないために心がけること、それは、

70億通りの価値観がある

人間には誰しも「抜け」がある

「だろう」と相手への期待を過信しない

4つのNGワードを口にしない

かな。でもこれって、根本にあるのは「自分がされたら嫌なことは相手にしない」ってことでもあります。態度も口調も自分にとって嫌な気持ちするときってあるでしょう? それは自分が相手にそうしてる可能性があるってことです。「人の言動は自分の鏡」ってね。それに気を付けるだけで、不思議と怒らなくなりますよ。

おまけ

じゃあ、本当に自分が怒るときってどうなるだろ、って考えると、「何も期待しないし、信用もしない」って静かに突き放すでしょうねぇ。「それが逆に怖い」っては言われましたが(笑)

2件のコメント

  1. 吉田 正義

    長年 怒らないことを 続けてこられるのは 4つのNGワードを使わない他に 宮田さんが冷静に相手と対処できる すべ を 身に着けているのだと 推察しています。

    「70億人がいたら、70億通りの価値観があるんです。それが人間社会なんです。一人として同じ人はいません。双子だって育った環境で徐々に変わっていくでしょ? 」

    はい 70億の 正解があるのに 自分だけ 正しい訳があるはずがないですよね。

    「Yes,but」  年齢を重ねると おろそかに していました。 久しぶりに 過去を振り返っています。ありがとうございました。

  2. 竹内孝充

    私は長く上場企業や、企業集団の役員をしてきましたので、歳上・下職位の役員が多数居ました。
    彼等が気付かなかった慣習是正で効果を示しても、やはり毎回反対の為の反対がまきおこり、たまに語気強く諭すとムキになって、私の言葉が終る前からデタラメな説明を捲し立てたり、西後は口を開こうとすると「それはダメだ!」と遮ったりされたものでした。
    私からすれば彼等の花道にと思って滅私のつもりでアドバイスしているのですが、だんだんメンドくなってきて、年配者が口角泡を飛ばし青筋を立てて居るのを観ていたら、怒りを通り越して「滑稽さ」や「憐れさ」を感じるようになりました。
    それ以来「怒り」とは、歳や社会的上下でなく、魂の譲熟度が低い者同士間で発生するように感じています。

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