福井の伝統工芸品
福井県には国が認めた伝統工芸品っていくつあるか知ってますか?
全部で7つあります。越前和紙、越前漆器、越前焼、越前打刃物、越前箪笥、若狭塗、若狭めのう、です。調べると、東京、愛知、石川、京都、福岡、沖縄なんかは多いですが、各県とも総じてそれほど多くはないんです。地方で人口も少ない福井に7つもあるのはまあ奇跡みたいなもんです。
特に越前和紙と越前漆器にしてみれば、その歴史1500年。気の遠くなるような時間を、福井の人たちは連綿と受け継いできているわけです。1500年って、まだ奈良には平城京も出来てないどころか、飛鳥時代よりも前、聖徳太子も生まれていない時代からって、半端ないと思いませんか。
福井はものづくりの街
加えて、繊維、メガネといった基幹産業が福井にはあるわけで、言うなれば福井って「ものづくりの街」なんですよね。観光地が少ないとか、何もないとか、地方はよく自分達を卑下して言いますけど、もう福井の人は言っていいんじゃないですかね、「ものづくりの街です」って。事実、RENEWとか千年未来工藝祭とか、ものづくりを体感できるイベントも開催され、人が大勢集まるようなことが起きています。観光を考える際にものづくりをコンテンツに、間違いなくできると思うんです。
ただ、悲しいかな、そのものづくりの伝統が消えかかっています。グローバリゼーションとキャピタリズムの発展は、より安価なものだったり、世界との競争だったりして、じっくりと丁寧に作り上げるというモノは敬遠されていった、と考えられます。どちらかといえば、儲け先行なわけです。それって、極論で言えば自分だけよければいい、という考え方ですね。その頂点だったバブルがはじけて、もう30年が経ちました。
今、そういう考え方は、むしろ「カッコ悪い」とさえ思われている空気を感じています。バブル経済を知らない世代がこの世界の主役を担う時代になってきている中で、大量生産大量消費の風潮は時代遅れともされてきています。ロット数が多いから安くなる、けど必要ない分まで作るから、余ってゴミになる。前回紹介した美術家MAGOの取り組みは、まさにここに真正面から向き合って、本気で世界を変えようとしています。
ニューノーマルに必要なもの
はっきり言っていいと思います。その時代は終わり、新しい世界が始まっている、と。新しい世界は、不便をマイナスと捉え、排除した末の合理化、効率化という今を止めて、その不便をプラスと捉えその時間を楽しもうという感性へのシフト、のような気がします。
元々その素地はあったのですが、コロナ騒動が起きたきっかけで加速したというか。“ていねいな暮らし”とでもいいましょうか、そういう感覚です。
となると。高度経済成長からバブル経済へ続き、失われた30年とも言える中での「バブルよもう一度」的な足掻き、の波とは違う波、一つのものを長く愛するような波が来ていると思います。いいものは長く使えるものなんです。たとえそのときは高価であっても、長い目で見ればお得、という。
そのときに浮かび上がってくるのが伝統工芸品なのだと思います。例えば越前漆器。本物の漆器は丈夫で長持ちするんです。剥げても塗り直せばまた元通りになるんです。例えば越前和紙。正倉院に保管されている書類は越前和紙と聞きます。つまり、1000年持つんです。例えば越前打刃物。何度も鋳造され刃こぼれしても研げば元の切れ味になるんです。
それらは本当に長く長く培われてきた技術。何代にも渡って伝えられてきた技術。伝統工芸の世界は尊く、素晴らしいものだと思いますし、産業として今も伝えている福井という街は、いいものはいい、という世界観を大事にしてきたのだと思います。
ものづくりの灯を消さないために
といっても、その技術を次につなげる人は確実に減っています。以前考えたことがありました。福井にものづくり大学を作ればいいんじゃないか、って。若い人たちが伝統工芸を素晴らしいと感じ、その担い手になるための場所を、自治体資本で作ってもいいんじゃないか、って。そうすれば福井県だけでなく全国からものづくりを学びたい学生たちが集まるし、彼らの感性が街にいい影響を与えるんじゃないかって。
でも、今はちょっと考え方を変えました。若い人もいいんですが、いるじゃない、もっと多くの人たちが、って。
それは、定年で引退した人たちです。セカンドライフは悠々自適に、って昔は世間をあおっていましたよね。でも最近のニュースでは「老後は2000万円必要」発言とかで盛り上がってるように、実際に定年後の不安を感じている人は結構いるんじゃないかって思っています。でも定年だからって、会社を辞めなければいけないし、その後は嘱託といって時間を区切っての仕事になったりしています。昔、自分の父親が退職したとき「もっと働けよ!」って感じたことがありました。だって60歳過ぎてもギラギラしていて、まだまだバリバリ現役できるやん、って思ったから。事実今の60代の方たちって定年って言葉が似合わないくらいギラギラしてると思いませんか?
今、定年の年齢を70歳まで引き上げる話し合いをしていますが、「もうちょっと違うことしたいよなぁ」って思う人もいると思います。自分が考えたのがそういう方々です、伝統工芸の次の担い手としてセカンドライフ、ではなく、セカンドキャリア。定年後のキャリアは「職人」という道です。
「職人」って響き、カッコいいと思います。趣味じゃない、仕事としての「職人」。それもこれからのニューノーマル時代のニーズに合う伝統工芸品の「職人」。手先を使うから頭は冴えていくでしょうし、仕事としてだからやりがいもあります。そして何よりも福井の先人たちが守り続けてきた文化の継承者にもなるのです。これまでのキャリアもスキルもリセットして、ゼロからのスタート。本当にセカンドキャリアとして次の人生を生きる、という選択はできるんじゃないだろうか、って思います。
「お仕事は何されているんですか?」
「伝統工芸職人です」
そんな言葉が飛び交うような街であってほしいですし、職人が憧れになる街であってほしいと思います。それが伝統工芸を大事にしてきた福井という街の使命なのかなと思います。自分ですか? 自分はそれを伝える役割に徹しようと思っています。それがこの街から与えられた使命だと思ってます、勝手にですが(笑)。