食べる派? 獲る派?

でも、朝になるとお腹が空くのはなんでなんでしょうね。ホテルの朝ごはんって、なんでこんなに食欲をかきたてるんでしょうね。地元の農家さんの野菜や卵、ってだけでおかわりできますて。いや待て、ここで満腹になったらお昼どうするよ? って、既にお昼を考えて朝ごはんを食べてる自分…。食べるのやっぱり好きなんですよ。

ならば、取るのはどう? と、朝イチで向かったのは日向の「ひるが海上釣り堀」。雨だ雨だと言われたけれど、奇跡的に雨風ない状態。これまでもそうでしたが、晴れ男ってホントに晴れさせるんですよ。さぁ、釣り三昧だ! って思うでしょ? 実は釣りをしたことないんです。いやホントの話。餌の付け方、リールの巻き方、針の投げ方、糸の巻き方、何一つへっぴり腰で様になってない。撒き餌をして魚を集めてくれて、何とか釣った経験させてもらったんですが、浮きの動きに合わせて竿を合わせる、って動きが…。それ以上にリールを上手く巻けない…。「上手い人は10分で3匹くらい釣りますよ」。奥が深いですねぇ。自分ハマチ食べるほうに専念します…。

日向地区といえば、ブランドぶり「ひるが響(ひびき)」というのがあります。かなり手間暇かけて育てたぶりだそうで、通常の倍以上のお値段なので、東京とかの料亭に直接卸したりもしてるそうです。もちろん美浜町内でも食べられるのですが、いかんせんデカいので、ある程度の人数で食べに行ってみてくださいね。
ここにはいろんな魚がいるそうなんですが、タコも実はいるそうです。タコ釣れる釣り堀ってあるんですか!? 最初は小さいまま放すそうなんですが、みるみるうちに大きくなって、大きいものでは1mくらいになってるとか。ハマチとかもいるので、是非夕食のおかずを釣り上げてください。

鬼渋の道を往く

日向湖を囲むように集落がある日向地区、鬼渋です。ここはゆっくり歩いてほしいです。車通れないわけではないですが、止めた方がいいです。途中クランクがありますし。のんびり歩いてください。ホントに昔の町並みというか、この狭さと湖がセットになって癒されます。ぶりも食べられるお宿もありますよ。
そしてさらに極渋の場所へ。

昔の諺で「すべての道はローマへ続く」ってのがありました。道って、何かしらどこかしらにつながっていきますが、つながらない道もあるんです。その先がない、行き止まりの、最果ての場所。常神(つねかみ)半島です。ホントにありません。周遊できないんです。風や波を避けるように、寄り添いながら家が立ち並んでいます。その集落は5つ。手前から塩坂越(しゃくし)、遊子(ゆうし)、小川(おがわ)、神子(みこ)、そして常神。常神地区まで車を走らせると、「あー、なんか旅した気分」って思うのは自分だけでしょうかね。最果て感が半端なく押し寄せてくるというか、その哀愁というか。ここに来るまでの道のり、若狭湾を左手に眺めながらのロング&ワインディングロードなのがそう思わせるのかもしれないです。集落内は車はおろか、自転車さえも通ることが困難な狭さ。極渋です。目の前の漁港で揚がった魚を食べさせてくれる場所や、お宿はありますが、何があるわけでもないです。ただただ、この空間が素晴らしく渋いんです。

ちなみに、常神半島のちょっと先に「御神島(おんがみじま)」という無人島があります。神子に常神に御神と、神様づいてる地名が多いのは、神様に守られている場所だからです。かつて天皇の一行が船で航行しているときに嵐が吹き荒れ、御神島に停泊して嵐を避けることができた、という伝説が残り、神が守ってくださったということで、時の天皇はここにお社を建てなさい、と、常神大明神ができました。このお話、今から1300年以上も前のこと。それくらいめちゃくちゃ古い社なんです。そのお社を陸側にもと、できたのが常神社。常神地区の入り口に建っています。が、今回はお猿さんの遊び場になってました…。

あとですね。御神島はプライベートビーチにもなりますし、何といっても「青の洞窟」ありますから。イタリア行かなくてもありますから。行かなければわからない魅力がありますよ。美味しいお魚と海を楽しみたい人には良い場所です。

ソースいか丼⁉
さて、お昼は何しようかと、隣の神子地区で写真撮ってたところ、一枚のチラシが。「ソースいか丼」。ソースカツ丼ではなくいか丼。ちょっとちょっと! これは食べてみたい! チラシには11時から、前日予約、って書いてあったけど、とりあえず電話してみました。「11時30分からならいいですよ」。あと1時間かー。ここから一旦戻るのは無理なので、神子地区歩いてみました。


やっぱり極渋ですよねぇ。地区内は歩くスペースしかありません。車は全部道路沿いに。歩いてると湧水のような場所が。覗いてるおじさんに話しかけてみたら、一言「今日はうなぎいないなあ」。うなぎ!? 聞くと一匹ここに住んでるのだとか。かつて地区の飲み水として使われていたそうなんですが、今はうなぎの部屋のようですね。神子地区は36軒の家が寄り添っていて、最近33軒になったそうですが、昔から12軒ずつ分かれていて、北町、中町、えびす町というそうです。何で南ちゃうねん…。いきなりえびすかいな。そしてその理由をいろんな人に聞いても知らないという…。で、3集落ごとに湧水があるそうです。北町は使用している感じでした。えびす町の人は北町のことを「あちんじょう」って言うてました。どういう漢字ですか? って聞くと「知らない」。…。で、発音を聞く限りでは「じょう」って聞こえるんですが、「町(ちょう)」なんですよね。地元ならではの言葉のやり取りの何と面白いことか。いいですよねぇ、この感覚。



地区内にある神子神社は山肌がむき出しになっていて、えらい迫力ありました。今にも木が倒れてきそうな。掃除していた方に聞くと、10年ほど前から嵐で山肌が見えるようになったんですて。「次、嵐来たら倒れるかもなー」と、不安がることもなく、黙々と掃除してました。まぁ、この樹木が倒れてきても、家に被害が来そうな感じではないからなのか、それとも自然と共に生きるからなのか。すべては神様のなすがままという神子地区ならではの感覚なのか…。民俗学をかじったからなのか、この感覚にワクワクします。

気が付けばもう1時間。ソースいか丼の時間がやってきましたよ! こちらは『うらら亭』といって、お昼限定のお店で、地元の奥様が集まって営んでいました。すぐ通され、ものの5分で登場! いや、ホントにソースカツ丼のソースや…。ほんでもって、目の前の海で獲れたいかの柔らかいこと。さらにお吸い物は海の香りがムンムンで、茎ワカメの煮物も絶品で。聞くと、ソースは自家製なのだとか。自家製でこの味まで出すのか! とマジでビックリしました。隠し味が、地元の人が好んで使うマルロク醤油なんですって。で、このマルロク醤油、あまり流通してないみたいで、調べたところ、美浜町の菅浜生協にはあるみたいです。試してみたいですね。あと、チラシにはなかったので知らなかったんですが、「かに天丼」が人気だそうです。かにを天ぷらにかー。確かにあまりないメニューですねぇ。今度はちゃんと予約をして行くことにしましょう。

も一つ! 神子地区で忘れてはいけない、というか、是非見に行ってほしいのが、「神子の山桜」。山一面に桜が咲き乱れます。圧巻です。みんな写真撮りに来ます。おいしいごはんと山桜。このセットは常神半島の魅力の一つです。


日本最高級の梅を!

あ、もう午後。若狭町のお土産と言ったら梅です。福井梅と言われて力士の優勝賞品にも贈られるような立派な梅です。基本的に「紅映(べにさし)」と「剣先(けんさき)」が作られてますが、梅干しはほぼ紅映。これは福井ではこの品種がよいのであって、他の土地は違う品種が作られてます。例えば紀州南高梅って有名ですが、あれも南高梅という品種。かといって南高梅を福井で育てても育ちません。気候が結構左右するんだそうです。特に紅映は雪が降らないと実が良くならないという特徴があるようです。
でね、さらに品種改良するわけです。もっと効率的にかつ実が厚いのを。それで生まれたのが「福太夫」と「平太夫」だそうです。何と古風なネーミング…。なんでかというと、福井梅の発祥となった家の方が平太夫さんと助太夫さんといって、「平太夫梅」、「助太夫梅」と言われ、福井梅はスタートしたのです。だから、「新平太夫」なんですね。ただ、福太夫のほうが紅映の生産サイクルと似ているところから、福太夫のほうが良く作られているそうです。
でもって、ずっと気になってたことが。梅を作るのはわかるけど、紫蘇は? 紫蘇がなければ梅干しはできないから、福井でも紫蘇作ってるのかと思ったら、さすがにそれはなく、国産の紫蘇を仕入れているようです。紫蘇と言えば最近ブランド化している「木田チソ」という紫蘇はあるんですが、生産量が足りないから、使用できないそうなんですて。でも一度試したことはあるそうです。そのときの梅干しの香りはとても豊かなものだったとか。ならば、超限定の純福井産、一粒1000円くらいの最高級の梅干し、作ってみると結構話題になるかも。

尖がり具合MAX博物館

さて、若狭町で一番新しい博物館と言えば『福井県年縞博物館』です。福井って、恐竜やらカニやら縄文やら年縞やら、絞りに絞った博物館多いすよね。この尖り具合最高です。誰が年縞をテーマにする博物館作ろうなんて思う? そもそも年縞って何? ってなりますよね。年縞とは文字通り、年のしま模様のことなんですが、一年ごとに降り積もるものが堆積して圧縮されてしま模様になる状態のことですが、それってあまり地面とかが動かない場所が最適なんです。これまで世界中探してもそういう場所がなかったんですが、なんと福井にあったんです! それも湖の下に。
水月湖の湖底を調べたら、何と、70000年分もの層が見つかったっていうからみんなビックリ。 三方湖の縄文遺跡を調べるのに掘ってみたら年縞が出てきたから、もしかしてあるんじゃね? なんて始まったという、偶然の産物的なものでしたが、調べてみてかなり貴重な資料だそうで、地球の歴史のものさしにまでなっているようです。日本どころじゃない、世界なんてまだまだ、地球全体の歴史のものさし! そりゃ博物館になるわなぁ。
この70000年の間に地球で何が起きていたのか、この年縞を調べることでわかるそうです。それだけでも人間の科学力の凄まじさを感じますが、いろんなところで火山活動が起きていたり、気温が上がっていたり下がっていたりしてたんですねぇ。鳥取の大山とか大山とか大山とか…。めっちゃ噴火してるやん! 鹿児島の喜界島や朝鮮半島の白頭山の噴火の灰も飛んで来てるようでした。

年縞の年表を見てると、不思議に思うのは、暑くなったり寒くなったりというのは周期性があるものだと思うんです。でもこれがまちまち。何でかを聞くとこれ知らなかったです。実は公転にしても地軸にしても不規則なんですと。もちろん数年単位な話ではなく1000年単位だったりするので普通に生きてる間ではわからないのですが、産業革命でこの周期も狂ったそうで。ますます地球の環境も複雑になっていく感じがします。
そうそう。お話を聞いていて時間という概念に違和感のようなものを感じました。元々時間というものは存在しなくて、人間がわかりやすいように後から作ったわけですよね、○時○分なんてものは。地軸や公転の話を聞いたら、そんなのに囚われすぎるのも小さなことなんじゃないか、って、例えば宇宙の話をしてると、今の悩みなんてちっぽけに感じるような、壮大な気持ちにさせてくれる場所です。今悩んでいる人がいたら、是非訪れてみてください。
SDGs感度MAX博物館

そして一緒に訪れて欲しいのが、隣にある『若狭三方縄文博物館』です。今の時代に一番合うテーマな感じです。平和&SDGs。縄文時代はまさにこの2つが成立した世界だったと思います。何故そうだったのか、どうやってなしえたのか、今とはまったく違う社会かもしれませんが、ヒントはあります。そう感じました。かなり久しぶりに訪れたんですが、前とは違う感覚で物事を見れたと思います。約1万年前のこの場所に人々が生活を営んでいた、それだけでワクワクします。ゾクゾクします。どんな生活を送っていたのかは見に来てみてください。

リーダー必見スポット

この旅の最後を締めくくるのは『佐久間記念交流会館』です。佐久間勉大尉は第二次世界大戦中、潜水艦の演習時にトラブルで沈没、浮上出来ずに全員が帰らぬ人となった事故があり、その時の船長だった方です。実戦で功績を挙げたわけでもないけど、軍人の鑑として知られていて、毎年行われてる顕彰のイベントにはイギリス海軍のお偉い方も参列しています。
それは引き上げられたときに見つかった日記がそうさせたのです。艦内はパニックになり、酸素がない状態で壮絶な最期だったと思いますが、佐久間艇長は最後の最後まで軍人として、リーダーとして毅然とした態度で命を落としました。普通できないですよ? 自分が死ぬときにパニックになりますて。でも、自分の役割を死を目前にしても全うしたんです。リーダーを目指す人々は間違いなく行ったほうがいいです。どんな組織でも「役職=偉い」と思っている勘違いのトンチンカン野郎は確実に行ってください。この場所で、彼の生きざまを知って、役職と役割の意味を学んでください。
とまあ、駆け足な一泊二日の美浜町若狭町の旅でしたが、ただ見るだけの旅でなく、そこで何かを感じ、考える旅になりました。最近は若い人の中に「デジタル認知症」という病が起きているそうです。全部検索してしまって考えない、覚えないことから起きているそうです。ここに来て考え、学ぶことのできる楽しさを感じてくれたら、と思いました。もちろん、美味しいのもたくさんありますから!
最後までお読みくださりありがとうございました!