行くべきか行かざるべきか
また来ました。来ちゃいました。どこって? 鹿児島県最南端の島・与論島です。なんで来たのって? まぁいろいろとあるんですよ、実は。ってほどの理由はないんですけど、「日本国際観光映像祭」というイベントがありまして。このブログでも何度か登場するんですが、世界各国の観光映像を審査するというイベントです。毎回日本部門の審査員をしているんですが…。
「今年、与論ファクトリー参加しませんか?」
という打診がありまして。この与論ファクトリーというのは、与論町の観光映像を3泊4日で撮影するというプロジェクトで、今後制作した動画は与論町の観光映像として採用されるというものです。毎回3チームが参加しまして、その1チームにどうですか? というお話でした。
正直迷いました。何故かって? 仕事が山積みだからですよ(笑) あれもこれもと抱えて、実はパンク寸前の状態でした。「じゃあ行くなよ」っても思ったんですけど、この状況を一度リセットして、頭を正常に戻して、再度年度末までの案件を全部まとめきったろうやないか、と思ったわけです。リセットです。全部。まとめて。人生も含めて。何もかも。
リセットをする上で最適な場所を挙げるとしたら、やっぱりこの島なんです。何故かって? 自分のライフワーク・福井のまちづくりにとって最適解を持っている島だからです。人生のリセットを行なうには最高の場所だからです。
最近、北陸新幹線が開業するというから、にわかに沸き立っている福井県ですが、ずっと、ほんとずっと前から言っていることで、何度も言いますけど「人は人に会いに旅に出る」のだから、できることをしよう、って。背伸びしないで自分の可能な範囲で人を迎えようって。新幹線は確かに100年に1度のチャンスです。ある意味福井県の悲願でもあります。が、それでも交通網のツールの一つなんです。ゆくゆくは大阪までつないで東海道新幹線のサブルートとして機能していかなければいけない国策の一つなんです。
とまぁ、毎度毎度ここで熱くなってしまうんですが、その“背伸びしないで自分の可能な範囲で人を迎えよう”というこの姿勢が、与論島の人たちには当たり前のように備わっているんです。それを感じに行こう、今行って見聞きして、おもてなしの本質とは何かを感じに行こうと、挑みに行くことにしました。
挑むってのは、間違いなく「与論献奉」の洗礼を受けるだろうと。そのためにウコンは必須であり、まずは「モリンガウコン」を手に入れねば。モリンガもウコンも与論島で栽培されているらしく、スーパーフード×スーパーフードでさぞかし効くだろうと思いますよね、普通に。いや、効くんです、普通には。でも後日出会った与論島の人々は口を揃えて「効かねえよ」と。いやいや、あんたら効く量以上飲んでるからだろ(笑)
新婚旅行を思い出した
今回泊まった宿は「guesthouse KAI」さん。もうギリシャ! ミコノス島に新婚旅行で行ったので、めっちゃ雰囲気あるがな、と思っていたらなんと、そうだったのか、ミコノス島と与論島は40年来の友好島関係なんですね。なんでミコノス通りって名前が付いているのか納得しました。ちなみにミコノス島にはヨロンロードってのがあるそうです。すいません、覚えてないす…。
ゲストハウスっていいんですよ。もう家感覚で過ごす感じ。キッチンとトイレとシャワーは共同で、それがまた昔のニュージーランドでのバックパッカー時代を思い出させてくれます。同じく泊まっている人たちとリビングで会話をしたり、そういうのが楽しいんです。きっとまた来るときはここにもう一度泊まります。
さてさて。滞在期間は4日間。そのうち初日は昼過ぎ到着、最終日はほぼ移動だから、実質2日半だけです。かといって、取材先の内容をガチガチには決めません。むしろ行き当たりばったりのほうが今回はいいな、と思っていました。決めれば決めるほど、いい絵は撮れないだろうと。観光映像と言ってもドキュメンタリー映像に近い感じで、でも伝えたいものはこのようなイメージで、ってのがスタッフ同士で共有されているので、あとは出たとこ勝負。
もう夕方近くになったから夕陽を撮ろうと海沿いに行ったら、いきなり“第一村人発見”ばりに出会いました。ちょうど気になっていた「島バナナ」と「ミズレモン」を作っているおじさんでした。「ミズレモン」ってのは初耳やなぁ。とりあえず想像してください。それからグーグル先生に聞いてください。
で、その方に教えてもらった夕陽のスポットに行ってみたんですが、まーキレイ。与論島はどの場所に行ってもオフシーズンで人が少ないから、どこも貸し切り状態。夕陽が沈む瞬間まで眺めていたら、どこからともなくすっと“第二村人”が隣に! 人がいない前提でいたから鳥肌立ちました(笑) 聞くと毎日散歩に来て、毎日夕陽を撮っているそうです。スマホの中を見せてくれたんですが、毎日毎日同じ夕陽。でもその方曰く、毎日違う顔を見せるんだとか。
早速の洗礼を浴びる
そして、日も暮れてお楽しみのお食事タイム。それも大人気の『ひょうきん』さん。与論島で会いたかった二人に会えるので、気がはやりました。はやりすぎました。はやりすぎて記憶を失くしました…。目が覚めたら道端で寝ていました。「与論献奉」の洗礼を早速受けてしまいました。ホント、ご迷惑をおかけしました…。すいません…。
この「与論献奉」というのは、おもてなしの儀式的な…、いや、ただ飲みたい、ただ酔いたいだけちゃうの、ってくらい、とってもヤバいやつです(笑)。与論島の黒糖焼酎『島有泉』をお盆の上に載った杯(つるつる一杯で2合分くらい)にお盆に溢れるくらい注いで、“口上”を述べながら一気飲み。そしてそれが一回だけでなく、会場にいる人全員が延々と飲み続けるという地獄の儀式(笑)。でも、このおかげでなんでしょうか、与論島の人たちはスピーチがとても上手。人前で話をするから、受けようとユーモアも交えたりします。何をしてもユーモアを忘れない人たち。いつも笑っていようと努める島民性があるのでしょう。それも歴史から来ているのかもしれませんね。
聞くところによると、かつて薩摩藩が与論島を支配していた頃、年貢の取り立てに役人が来たとき、おもてなしと称して翌日もその翌日も仕事が出来ないくらいベロッベロに飲ませた、という由来があるそうです。つまり、与論島の人にとっては「与論献奉」で、訪れた人を酔いつぶしてこそおもてなしになるという、刺激的で2日目を地獄に落とす最高な“儀式”なのです。「モリンガウコン」を手に入れ損ね、当然2日目の午前中は完全に動けませんでした。
地元を食す
でも、一人は二日酔いなどどこ吹く風で「朝飯行きましょう」と笑顔で話しかけてくる…。あんだけ飲んだのにどんだけ強いねんこいつ…。今回、一人で向かったわけではなく、3人で向かいました。さすがに動画撮影は無理なので、『es studio』のEito Marsくんと反保シュウジくんの2人にお願いをして一緒についてきてもらいました。2人とは話し合って、反保くんが動画、Eitoくんが写真、そして自分が文章と、3つの表現方法で与論島の観光について作っていこうということになりました。
朝ごはんを食べてもまだ復活せず、やっとお昼ごはんを食べて何とかスタートしましょうと。なんか食ってばっかりやな…。朝ごはんは『カ・リーベ』さん、お昼は『芭蕉亭』さん。『カ・リーベ』さんはカレーライスが有名なスナックバーですが、朝ごはんは地元のお魚を使ったお料理。パパイヤのシリシリなんて珍しいと思いませんか? 『芭蕉亭』さんは、以前行ったときにメニューだけ見てこりゃ珍しいもの見たと思って誘いました。「豚骨定食」って書いてあって、福井人じゃあまずもってラーメンしか想像がつかない(笑)。でも旨いんです。後にわかるんですが、鹿児島で豚骨って言ったらこの料理なんだって。
さて、回ってみますかと、車を走らせて行くんですが、気が付いたらあっという間に島の反対側に。そうなんです、与論島はとても小さい島で、車でゆっくり走っても半時間も経たずに一周してしまうんです。人口は5000人、小学校が3つ、中学校、高校が1つずつ。車で走っていても、目が合ったらあいさつをされる、とても心が洗われる町です。以前も電動キックボードで走っていると、学校帰りの子どもたちから幾度となくあいさつをされます。大人の方々も目が合ったら必ず会釈されます。
与論島の神社
で、前回行けなかった場所に行こうと、最初に向かったのが按司根津栄神社。「あんじねづえ」? ちゃいます。アジニッチェーと呼びます。琉球・奄美は独特の名前の文化があります。ここはどんな神社かというと、まさに「按司根津栄」という人物に敬意を表して祀っている場所です。世界中にここにしかない神社。
按司根津栄とはどういう人か。名前を区切ると、按司と根津栄で、氏名ではないんですね。按司は島の長である官位名、根津栄は与論島の地名、ということで、「根津栄の按司」っちゅうことですね。まるで「ヴィンチ村のレオナルド」のレオナルド・ダ・ヴィンチみたいね。まぁとにかく英雄です。武に長け、人思いが厚く、王国であった琉球の兵を死してなお1000人倒すという伝説ばかりの人物。確か神社のとこにはある天皇の末裔とかなんとか…。そうした800年前の島の英雄を、800年後の島人はあがめ続け、新しく祠まで建ててしまったという信仰の厚さ。
これ、神社の話をしていますけど、日本(ヤマト)の本島での神社とはかなり違うものだと思ってください。神社とは後世に便宜上付けただけで、いわゆる祖先崇拝的な、純粋な信仰心に基づいていると思います。現在の与論島にはお寺はありませんし、八幡や宇佐、白山に稲荷など、本島津々浦々にあるような神社もありません。アニミズムに近い感覚です。こういった宗教観について知りたいと思ったら! ちょうど隣の敷地で発掘調査やってるって偶然!
さぞかしどこぞの王族の発掘調査かと思いきや! 普通の家だそうです(笑)。むしろこうしたことができていなかったのが与論島だそうで、やっと「島んちゅ」の学芸員が登場したことで、一気に与論島の歴史が解明され始めているようです。で、お話をしていて興味深かったのが、かつてこの島にもお寺があったそうで、その宗派は禅宗だったとか。鎌倉時代に建立されたお寺が薩摩を通じて与論島にも建てられたそうで。禅宗であったのも薩摩の影響があったり、禅宗の教えがまだ浸透しやすかったりとか、いろいろと考察はあるのですが、とにかく、お寺はあったそうです。今、まさに与論城跡の調査が行なわれ始めているそうなんですが、調べてみたらそうとうデカいのではということです。
長男至上主義
そして前回行けなかったのが実は、観光映像祭が行なわれていたすぐ横の「サザンクロスセンター」展望台。与論島の中でも一番高い場所から一望できるので、360度ぐるりと見渡すことができます。もう360度全部青い海!
でもって、前回も気になっていたお店に直撃。『大金久水産』さんというお寿司屋さん。ホント道端にプレハブの小屋がぽつんと、寿司と書かれた看板がなんとも興味をそそり、開店の17時を過ぎたので入ってみました。何といっても、全部地元で揚がった魚ばかりが、100円から! でもってネタも大きく、聞いたことのない名前の魚が連発。やっぱ海のものですよねぇ。落ち着きますよねぇ。シイラの握り寿司は福井ではあまり食べられないもので、やっぱ与論島だから、ですよね。
店主の方もそうですし、外で何時間も一人で飲んでて気が付けば独り言を言っているおじさんも、後から入ってきた兄弟も、話せばみんな「長男だから帰ってきた」。この言葉はこの後何度も何度も何度も耳にします。そして高校を卒業したらほぼ全員と言っていいほど島を離れます。これらの話ははまた後程。
しけで魚があんまり獲れなかったので、軽く食べただけでまだまだ胃袋は大丈夫(笑)。さらに「モリンガウコン」も2袋12粒かっこんで、臨戦態勢は整いました。次なる出会いを求めていざ、居酒屋(笑)。前回も訪れた場所『まるとく』さんは、地元の人も観光客も訪れる“島料理”のお店。島料理と聞くと魚、と思うでしょう? ヤギです。車でぐるぐる回っているとよく見かけた、あのヤギです。ヤギの刺身、ヤギ汁、鹿の焼肉等々、臭いとか固いとか思うでしょう? まったくです! 旨いんです! 好きになるのもわかります! リピーター多いのもうなずけます!
でもって、隣のテーブルにいたのは役場の方。肩が触れ合うくらいの距離感なのと、見た目で「旅んちゅ」ってわかるので、すぐに「どこから来たの?」になります。反対側のテーブルの人は、入るやいなや「映画監督ですか?」。そんなにオーラ出してないで……。
今回はビーチテントサウナを展開している地元の方も合流していたので、他のテーブルと打ち解けるのも早いですよね。気が付けば自分、役場の方のテーブルで飲んでました。もちろん「与論献奉」付き(笑)。大丈夫「モリンガウコン」飲んできたから(笑)。
「血」の大切さを知る
建設課の方々でしたから与論島の課題というのも聞くことができました。島の方大体が移住者を歓迎しているのですが、いかんせん家がない。「土地ならあるでしょう?」と、飛行機の窓から望む島の全景を見て感じることもありますが、そうじゃないんですね。「売らない」んです。自分の土地を売ることは“恥”という概念があります。ここはヤマト側の概念とは切り離して聞いてください。
先ほども書きましたが、長男は帰ってくるもの、という常識は、昔の日本では普通のことでした。時代が変わり、移動がしやすくなり、仕事の幅も広がり、長男だからといって帰ってこなくてもいいという常識が生まれ始めています。でもちょっと考えてみると、日本の天皇家は脈々と血をつなげてきました。直系でなくても、辿ればつながる血筋をつないできました。だから、以前女性天皇が誕生することに慎重になる論説が飛び交っていたと思います。「血脈」、「直系」にとにかくこだわっていました。徳川幕府もある意味それに近いんですけど、「血」よりも「家」を大事にしてきたと思います。養子がどんどん入って来ていたと思います。「血」は大事でしたが、家系図の中で「徳川の血」がごくごくわずかでも入っていればOKくらいのレベルで、それよりも「家」で見ていたと思います。
でも与論島は海で隔絶された土地。「血」を大切に大切にしてきた島。それが島を持続可能な存在にするための自然発生的な思考だったんじゃないかな、って思います。長男は家と土地を継ぐのは当然、女の子が生まれたら、お嫁に行ったときに土地を分ける、という話も聞きました。人口5000人、ほぼほぼ全員が知り合いです。どこかで誰かが歩いていれば、ごはんを食べていれば、車で走っていれば、大体知られているんです。だから、変なことはしない。それと同じことで、土地を売るというのもある意味変なことの一つかもしれませんし、もしかしたら「血をつなげなかった恥」と最初は感じたのかもしれません。先祖代々の土地をお金に変えることも恥、という認識があるのかもしれません。
資本主義への提案
ここです。ヤマト、というか世界の資本主義の中で育ち、稼ぐこと、事業を大きくすることを是としてきた人にとって、「本当にそれで幸せですか?」と、与論島は問いかけているような気がしてなりません。「お金ってそんなに大事なものですか?」って。それに、これまでの与論の人たちが誰にも土地を売らなかったことが、正直幸いだったのかもしれません。もし与論島の人たちが資本主義に飲み込まれて、儲ける話ばかりをしていたら、今頃“ただの島”になっていたことでしょう。名前が出なければ与論島で撮影してもどこかの南国の島のプロモーションムービーの一つ、としての認識しかなかったことでしょう。そして与論の言葉ももうなくなっていたことでしょう。そのような島に魅力を感じる人は、移住したいと思う人はいないのではないでしょうか。
実は友好島関係のミコノス島では、外資、特に中国の人たちが土地を買いあさっているそうです。自分がミコノス島に行ったのが今から17年前、そのときは自分たち以外ほとんどアジア人を見ることはありませんでした。「guesthouseKAI」さんがうかがったのが10年未満前。かなりのアジア系の人を見たと言っています。「俗っぽい場所になった」と嘆いていました。自分が行ったときの、あの田舎風な感覚はもうないようです。つまり、資本主義=お金という概念は、文化を全部壊してしまう、ということを友好島は与論島の人たちに伝えているようです。
聞けば、与論島への移住希望者は2000人ほど待機している、ということだそうです。でもその2000人の人たちに問います。資本主義を是として島に入ったら、間違いなく島の人に見透かされ、“はみ子”にされて1カ月も経たないうちに離れると思います。ある方が言っていました。「基本移住者は歓迎なんだけど、時々上から目線で物を言ってくる人がいる。そういう人は排除していく」。どこだってそうですよね。都会から来たからモノを知っている、お金を持っている、地位も持っている、なんてのは、排除の対象になります。ケネディ大統領の言葉じゃないですが、島が何をしてくれる、ではなく、自分は島のために何ができるか、ということを考えるのが大事だと思います。
知っているから、持っているから、立っているから偉いって感じてしまうのが、資本主義に飲み込まれている証拠です。だからその概念を切り離して、フラットにいることが、与論島の概念を理解することが、その概念を受け入れることが、この島での最大の楽しみ方です。受け入れた瞬間、受け入れてくれるから、話は尽きません。1聞いたら5くらい話してくれます。「与論献奉」していたら20くらい話してくれます(笑)。延々と話が聞けます。飲みの場ほど、人のドラマが聞ける場所はありません。
今あるものをどう生かすか
「モリンガウコン」のおかげで翌日はちゃんと海から昇る朝日を楽しむことができ、その足でビーチ薬草テントサウナを楽しみました。こちらを実施している方は島んちゅの方。人生を楽しみたくていろんなことをしてきている方です。そう、何もないのではなく、ないのなら創り出せばいいんです。無理しない範囲で。今あるもので。施設を建設する必要もなく砂浜で、水風呂は海に入ればよくて、ととのうのは冬でも暖かい日差し。「2時間なんてあっという間だから」と昨夜言われてほんまかいなと思ったけれど、2時間じゃ足りないくらい。1日いたって過ごしたいと思うくらい、のどかな時間でした。
昔からあるものをどう今に生かすか。このアイデアが大事だと思います。根付いていないものをいくら作ったとしても、根付いていないのだから参加率もモチベーションも上がりづらいと思います。海がある、太陽がある、モリンガがある、ウコンがある、さとうきびがある、魚がいる、クジラも来る、『島有泉』は二日酔いになる(笑)、そうした与論島の小さくてもいい一つひとつを拾い集めたところにヒントがあり、アイデアが生まれるのだと思います。実はそれを拾い集めるのが得意なのは、観光客の方です。何故なら地元の人は「これ、当たり前のものじゃない?」と思うものこそに魅力が詰まっているからです。
反保くんから「与論島ムービーハッカソンしましょうよ」って言われました。自分もしたいと思いました。主役なら沖島くんだな、とか思いながら、どんなストーリーになるのかな、とも思いました。が、与論島には映画という文化がそれほど根付いていない、という事実もあります。福井は、エキマエは映画という文化が少なくとも根付いている街なので、可能なのかな、というのがありました。文化というのは一日にしてならず、です。何年も何十年も続いてきたから文化なのです。でも、やっぱ、与論島ムービーハッカソンはやってみたい(笑)。
3日目ももちろん「与論献奉」始まりました(笑)。最後の夜は予約が取れないお店『やす』さん。でも今回は“世界の鬼塚”ウコン粉末を山ほど飲んで挑みました。出会う人出会う人、みんな楽しいです。結果的にバラバラで来たのにみんな一緒になって飲んでいるんです。地元の人も、応援ナース(結構応援ナースの方に会いました)も、観光客も。これが与論の醍醐味であり、交流の醍醐味であり、新しい気付きでもあり、思い出でもあり。
五感を開放する旅
最後の日、雨がしたたる朝でした。でも前日に会った応援ナースの方は言いました。「雨もまた美しいんです」。そうです。海があるから晴れが“いい日”ではありません。雨の与論島もまた、美しく愛おしいのです。その愛おしさをどう見つけるか。本当に心を何も縛られず、フラットにすることで見つけられると思います。「五感を開放する」、佐藤さんは言いました。この言葉に尽きるな、と、心底思いました。
与論の暮らしは、ある意味サステナブル(持続可能)なものです。巷のSDGsとは違い、歴史も伝統も文化もすべてがサステナブル。年功序列とか、縦社会とか、みんなが見ているとか、そういう言葉だけを聞くと息苦しさを感じますが、圧倒的な“共助”の社会。上が下の面倒を見る、そこに何の見返りもない。受けた恩は下の世代に返す。それが脈々と続いてきたから、与論島は与論島たりえるのです。SDGsは資本主義の一環の仕組みなので、あてはめない方が、そのままの方が素敵なのです。「何もない」のではなくて、何もかもが上手く絡み合って機能している社会なのです。
飛行機搭乗までの数時間、与論島で出会いたかった2人が最後の見送りに来てくれました。与論町商工観光課の沖島くん、『百合ヶ浜ビーチハウス』の佐藤さん。沖島くんはそのキャラクターを思う存分発揮する機会を得れれば、きっと与論島きってのインフルエンサーになり得る逸材。佐藤さんは移住8年目、宿を開いて地元の人との関係を構築し続けてきた、移住者にとって頼りになる存在。2人の話は本当にためになります。初日と最終日に会えて本当にうれしかったんです。本当にありがとうございました。
今後完成する動画には、この4日間の言葉を詰め込みました。もちろん観光客としての自分がこの旅で感じた、嘘偽りない素直な気持ちです。完成したら与論空港にずっと流れ続けます。もし与論島に出かける機会があれば是非見てみてください。もっと書きたいことあったけど、それはまた3回目の与論島ブログにて。
風がなびく。
波音が遠くで響く。
さとうきびの畑は 一斉に葉を揺らす。
湿度感のある空気。
心地よい風が身を包む。
ただそれだけで、 旅人は心奪われる。
何もない島。
でも何もないなんて
何一つ感じない。
この島にはたくさんの
愛に溢れている。
喜びの島。
人を受け入れる島。
人を愛する島。
こんなに居心地のいい
島はあるのだろうか。
この島に目的などいらない。
気が付けば、誰かに出会う。
誰かに出会えば話が弾む。
気が付けば、誰とも仲良くなる。
おもてなしなんて、
陳腐な言葉は必要ない。
当たり前の島人たちを、
装飾する言葉はいらない。
welcome,welcome.
何度も語りかけてくる言葉。
人も海も自然も文化も、
何度も語りかけてくる。
島人の誰もが
この島を離れていく。
しかし、最後は戻ってくる。
この島の空気が、
人々を癒してくれるから。
「もう出たくない」。
何度聞いたことだろう。
何にも縛られず、
何にも受け入れる、
島の魅力を島人は気付いたから。
「離れたくない」。
何度思ったことだろう。
このままでいい。
このままがいい。
島人の愛が包み込んでくれるから。
人は人に会いに旅に出る。
出会った人、
仲良くなる人、
会いたくなる人。
人と人がつながっていく。
予期せぬところでつながっていく。
予期せぬ出会い。
それがこの島最大の魅力。
この島の名は、
与論島。