20年の決着をつけるために
本日、17度目の結婚記念日。締め切りもあるけど、どうしても行かなければならない用事があり、間隙をついて行くことにしました。
ニュージーランドに。
理由は聞かないで(汗)。野暮用といえば野暮用やから。でも、この日のためにだいぶ前からいろんな人が手伝ってくれたことに、大きな大きな感謝をしています。
思えばニュージーランドに降り立ったのは27歳のとき。もう26年前のこと。人生で初めての海外は、1年間滞在というワーキングホリデーでした。
ほぼ1年間いたのはいたんですが、その期間中に妹が結婚式を挙げることになりまして。しかし自分は外国、兄は初の出産立ち合いと、2人の兄が参列しないというのはさすがにと思い、誰にも言わずに超サプライズで帰りました。もちろん披露宴での席はなかったですが(笑)。兄の面目躍如ということでね。で、チケット代を稼ぐのにまた日本でバイトをして戻りました。
結構楽しんでいました、当時は。バックパッカーの2段ベッド5つの10人部屋にずっと滞在して、バックパッカーの掃除の仕事で宿代を浮かせ、同じ建物のトルコ料理店で働き、バーの掃除を手伝い、極めつけは道端で自筆の漢字を書いたTシャツとか、自作のヘンプアクセサリー売ってたりしていました。まさにヒッピーだったので、よく前の仕事のときに入社前は何をしてたか聞かれたときにヒッピーでした、と答えてました。
このバックパッカーにはいろんな人が来たので、すぐに声をかけて話し込んだりしてまして。結果45カ国の人に会い、30カ国の言葉を教えてもらい、スペイン語と韓国語を学んだりもしてました。そのノート、今も大事に保管してます。ある意味宝物です。
あれから25年、ニュージーランドも大きく変わったと聞きます。特に人口が当時350万人だったのが520万人って、久しぶりに聞く人口増加。ただ、その多くがアジア系移民だということ。うーーん、どんなんなってるんだろう、というのが先にありました。
井の中の蛙、インバウンドを知らず
上野まで北陸新幹線、上野から京成スカイライナーで成田、というルートで行きまして。上野まで来たら、もはや外国人しかいない、ってくらい。日本語が聞こえないくってくらい、日本人がいません。確かに円安になってインバウンド需要が激しいけど、福井にいてはあまり感じることのない空気感だから、ちょっとしたカルチャーショックを感じました。
これが京成スカイライナーに乗るとさらに感じるし、成田空港に着くともはや日本とは感じないくらい。思わず自分も相手が日本人なのに英語を話そうとしていました。
正直不安も多かったんです。その大きなところで言うと仕事が残っていること。大丈夫か? ってな感じでいてて…。それに、福井を離れることが最近どうしても不安で…。決して離れるのが怖い、とかではなく、自分のいない福井が…、というある意味傲慢な部分がどこかにあって。いやいや、自分一人いなくたってどうにでもなるだろ(笑)。
後ろ髪引かれる思いもありつつも、仕事はある意味パソコン1台あればなんとかなると思ったのも事実です。実際、与論島のときもそうだったし。便利な世の中になったものです。それでも最後の最後まで、空港着いてもなお、後ろ髪引かれていました。でも出国審査抜けて飛行機乗るときには、もうなんとかするしかない、と、腹をくくりました。もうなるようになる、だ!
約10時間のフライトですが、やっぱり仕事してました。コンセント付いてるからずっと仕事できる、と思ったけど、よくよく考えたらコンセントの穴が違ってた…。大きなカバンに入れてしまった…。とにかく充電が切れるギリギリまで仕事をして、あとは現地に着いてからだ、とにかく。
昔の感覚は1日にしてならず
到着してすぐに野暮用を済ますのですが、まあとにかく大変(汗)。昔ならした英語は、今、新栄商店街で話してなんとか取り戻した感はあったけど、やっぱり難しい…。専門用語が出てくるからどうしようもない…。それでもなんとか、先方もGoogle翻訳で書いてくれたし、ギリギリのところで理解して、翌日も行くことになり、一段落着きました。うん、来なければ解決しなかったから、とりあえず良かった良かった。
でもねぇ、自分の街への感覚は1日では25年前には戻れなかったなぁ。あまりにも日本に慣れすぎました。足りないものばかり見えてしまっていました。野暮用も終わったのでホテルで仕事してご飯食べて寝て、また仕事して、寝て。そんな初日でした。
で、2日目。慣れました(笑)。最初は帰りたーいって思ったけど、チケットは切り替えできないし、宿代は払ってるし、帰りのチケットも購入済みだし、もったいないなって。まずは街に出てみようと。歩き出しました。
多民族国家という顔
何が変わったか、というと、街のいたるところに中国語があるということ。街のいたるところで中国語が聞こえるということ。どんなお店に入ってもアジア系の人が働いているということ。もちろん、ニュージーランドの白人の方もいるし、マオリ系の方もいます。でも、目につくのが中国の方とインドの方。インドの方々はターバン巻いてるからすぐわかるんです。
加えて多分他のアジア系であったり、南米系、アフリカ系と、ホント人種のるつぼ、って感じです。それが25年前と大きく違ったような感覚です。だから料理店もいろんな国の料理があって(もちろん日本語のお店も)、とにかく目移りします(笑)。
今回は旅行でもないので、レンタカー借りるとかもやめたし、とことんオークランドを歩いて歩いて、いろんなものを見ようと。で、また帰って仕事して、また歩いてごはん食べに行って、帰って仕事して、って感じです。とりあえずいろんな国のいろんなお店で食べてみようと。
しかしまあ、物価高いですよね。円が安いからですけど、一食2000円は普通に行きます。普通の中国のお店でもインドのお店でも。若干フードコートが安いかな、ってくらいです。味ですか? 聞かないでください(笑)。違いを楽しめるならいいと思います。自分は懐かしい、という感覚で食べてました。お米はタイ米と呼ばれた長粒種よりもさらに長いお米。
訪れる前に調べてたら、ニュージーランドは現金をほぼ使わなくなってるというのを聞きました。確かに日本ではキャッシュレス決済が進んでいるようにこちらでも当たり前ですが進んでいます。なので今回は福井銀行VISAデビットカードを持参しました。前に作っておいて良かった。とにかく楽です。日本のようにスマホ1つでってことはないけど、財布を持ち歩かない分安心です。
幸いお水は飲めます。部屋についてる洗面台の水もです。自然が溢れる国ですから。農業王国なので、木材とかに関する工場はあるんですが、日本みたいに工業系は見かけないです。日本のティシュペーパーでネピアってあるでしょ? あれ、ニュージーランドのネイピアから材料が出てるから、って聞いたことあります。
気が付いたんですけど、こっちに来て痰がからまないというか。汚い話でごめんなさい(汗)。空気もきれいなんでしょう。街のど真ん中にいても、です。
25年ぶりの再会を果たす
宿はメインストリートであるクイーンストリートの上の方。この近くに住んでたんです。せっかくだから懐かしい風景の場所で滞在しようと思ってたんですが、25年も経てば変わりますよね。住んでいた「kiwi backpackers」は跡形もなく、高層マンションが出来ていました。ここにあったトルコ料理「caravanserai」も移転しているようで、ここはマストで行こう、と。
食べまくるには高い、というのが一つと、量がとてつもなく多い! 出てくるたびに幻滅するくらい量が多い…。出てくるのは早くても、食べるのに30分はかかるくらい。1日2食が限界ですわ…。
フィッシュアンドチップス食べようかと思ったけど、新栄商店街に本物(シェルボーンのロブが作る本場アイルランドのフィッシュアンドチップス)あるし、別にいいか、っても思いました。でもトルコ料理は「caravanserai」に必ず行くと、勇んで行ったのですが…。聞けばドネルケバブ(ぐるぐる回って表面を削っていくやつです)ではなくシシケバブ(串状のつくねみたいなやつ)しかない、と。いやいやあの店はドネルケバブがメインだった。
そこで聞きました。以前クイーンストリートにあったときに働いていたと、あのときのスタッフはいるのか、と。そしたら!
目の前の別のお店を経営していました! 向こうも覚えていてくれていました! 25年前なのによく覚えてたなぁ。聞くと、今から10年ほど前にバックパッカーとレストランがあった建物が壊され、宿はなくなりましたが、お店自体はこちらに移ってきたそうです。で、今から5年ほど前にお店を他の人に譲り、自分は日本食レストランを開店させたそうです。名前も「Bonjiri」。備長炭を使い焼き鳥やってました。普通に焼き鳥やん。普通に旨いやん。
他の人たちはどこに行ったのか聞いたら、彼と彼の兄弟は残っているけど、2人はオーストラリアに、1人はトルコに戻ったそうです。そっかそっか、みなさん元気そうで何よりでした。このお店でトルコ料理を知り、その美味しさに日本に帰ってもトルコ料理店を巡ったり、自分でフムス(ひよこ豆のディップ)作ったりしてました。
日本でのトルコ料理で残念なのはラムケバブがないこと。本気で美味しいんだけど、日本人の口には合わないようで、ほぼ見かけることがありません。美味しいケバブはここで知ったのですが、譲った人たちは彼らの味を継承しなかったようです。だからシシケバブなんか…。ドネルケバブの作り方も目の前で見ていたし、香りが半端なく良かったし、マジで毎日食べても飽きないくらいの美味しさでした。だからせめて、ニュージーランドに来たらドネルケバブを食べたく、彼に聞きました。そしたら「うちを超えるお店はない」。そりゃそうか…。確かにそれから食べまわってみたけどあれを超えるものはなかった…。
大自然を武器にした産業
で、せっかく焼き鳥を食べたのだから、もう一軒日本食レストラン行こうと、確か25年前にいたときからあったと思われる、宿の近くのお店「たぬき」に入ってみました。厨房はみんな日本人。メインのお酒はもちろん日本酒、なんだけど、名前を読み解くのにかなり苦労しました(笑)。Kill the devil って? 「鬼ごろしです」。そっか、確かに(笑)。で、メニュー見ると福井のお酒も! 「Heart to heart」。さて何でしょう? 聞かなかったけど、あれやろうなー、きっと。
で、のり巻きいただいたんですが、やはりカリフォルニアロール的に逆まき。サーモン&アボガドにしたんですが、これトロ! マジでトロ! サーモンのサの字も感じないくらいトロ! サーモン頼んでるのに「なんですかこのトロ!」と叫んでしまいました。
ニュージーランドはキングサーモンの養殖がとても盛んで、お寿司のネタのメインはサーモンです。いやわかる、この質ならそうでしょう。日本で食べるサーモンとはまるで違う脂の量。お店の人にいろいろと教わりました。オーラキングというブランドとビッググローリーベイという2大ブランドがキングサーモンを出荷してるそうです。
そもそもキングサーモンは養殖が非常に難しい魚らしく、本当にきれいなお水のところでしか育たないそうです。南島は本当に自然が残っている場所。そりゃあ育つわなぁ。工場誘致なんかしたらアウトなのもわかっているから、国全体では自然を武器に産業を作っているんですよね。
そのお寿司職人さんは最近来たそうで、一度ワーキングホリデーでニュージーランドに魅了されて移住を決めたそうです。どこらへんが魅力的かと聞いたら「景色の8割が空って素晴らしいと思いませんか?」。うん、確かにそうです。それは自然がたくさん残っている、ということです。
で、いろいろと聞き、こちらでの最低賃金が23ドルと聞いてだいぶ納得しました。当たり前っちゃあ当たり前だけど、そうでなかったら普通の飲食店がこんな金額にはならないよね…。感覚でいうと時給1000円で800円の料理、ってところです。最近は日本人が海外に出稼ぎをして戻って来る、というのを聞いたことがあります。日本の倍だもんな…。アメリカじゃあもっとなんだろうな。その分すべてが高いけどね。だから今は大人しく日本にいたほうがいいんだろうな。
やっと出会えた西洋の国
そしてお魚食べるなら港の先にフィッシュマーケットがあるから、サーモンの刺身を買ってビールと一緒に楽しんだらと言われ、早速翌日行きました。もう歩くのが慣れたというか、筋肉痛も治まってきて5kmくらいは普通に歩くようになりました。いわゆるフィッシュマーケットはウォーターフロントにあって、そこを散策すると歩いている人が一気に変わります。よく、ダウンタウンというのは治安が悪くて、アッパーサイドが高級住宅街というイメージじゃないですか。ここは逆です。ダウンタウンにウォーターフロントがあり、高級住宅街が並んでいます。
クイーンストリートは歩いていればわかりますが、ダウンタウンに高級ブランドのお店が並び、上に上がれば上がるほどアジア系の安めの飲食店が並んでいるんです。これこれ、こういう感じ(笑)。あぁ、西洋の国に来たな、って(笑)。老若男女がウォーターフロントを走っていたり、散歩していたり。たっかそうなクルーザーが停泊していて、高級マンション、高級ホテルが軒を連ねている空間。この辺りだけ巡回する路面電車だって走っています。マイクロソフトの事務所もありました。
これはどこに行っても同じだとは思うのだけど、新栄商店街にいるといろんな国の人がいます。で、西洋系の人たちってあんまり同人種とかではつるんでいないというか。むしろアジア系が同人種でつるむことが多い気がします。日本人も含めて。これは人種的な性格なんだろうな、とは思います。どっちがいいどっちが悪い、って意味ではなく、そういう生き物だ、ということです。
で、フィッシュマーケットに着いてサーモン刺身を食べたわけです。魚の売り方もいい感じですよ。生の切り身がどさっとおいてあって、お客さんは何を何切れとか注文してお店の子たちが一切れずつ紙に乗せていって売っていくという、日本ではもうなくなってしまった売り方。刺身はさすがにパックに入っていたのでそのまま買って、他のお店でビールを買って、いざキングサーモン実食!
…食べられませんでした。お寿司だったからまだなんとか食べられたけど、こんなに脂ギッシュなサーモンを、それだけ食べるのは重い…。3切れ食べたところでギブしたくなるくらいでした。昔、ブリだったかな、脂ギッシュな刺身を旨い旨いってガツガツ食べたら翌日帯状疱疹が出てしまい、あんまり脂ギッシュな魚食べたらあかんのやと思っていたから、途中で鳥さんたちにあげることにしました。鳥さんはあんまり人を怖がらないですし、人もお店の中に鳥さんが入ってきても何とも思っていないんです。これもまた共生の一つ、なのかな??
文化の違いを感じる「お土産」
せっかくの日曜日だからと、電車に乗ってみようとおもったらストライキで全線ストップ…。結局お土産だけ買って帰ることにしました。そういえば、お土産屋さんもほとんど中国の方がお店に立っています。西洋人が立つことはほぼないです。西洋人が立っているのは高級ブランドのお店だけ。ここは本当に西洋の国なのか? と思うくらい、本当に多国籍です。
せっかくなので大橋巨泉さんが立ち上げた「OKギフトショップ」に入ったら、スタッフ全員日本人で、買い物してるのも日本人。言うなれば表示も日本語。そりゃこっちも日本語通じるところで買う方が安心はするわな。こういうお土産文化ってアジア系が強いんでしょうね。西洋人ってほぼ見かけなかったです。
毎日歩いているのですが、空き店舗がかなり目立ちました。メインストリートだから小売が商売上いいんですが、現地の人は小売系の商売しなくなってますよね。特に飲食店が多く、そのほとんどがアジア系の人たちが運営していて、一つの店が10坪もないくらいで、テイクアウト(こっちではテイクアウェイって言います。テイクアウトって通じないです)専門に近い感じ。もちろん座れる店も多いですが、そのどっちもが個人商店形式です。日本で見るチェーンストアって、ほぼ存在しません。
クイーンストリートで見かけるチェーンストアはマクドナルドとスタバのみ。ケンチキとかタコベルも1本入ったとこにひっそりとあったし、ファミレスで言うとデニーズがありました。それぞれ1軒ずつしか見当たりません。コンビニもみんなバラバラ。そういう意味では多彩な顔を見せています。いうてもコンビニなんかはどこ入っても外見が違うだけで中身一緒やけど(笑)。
飲食店も中華系、インド系、トルコ系、韓国系、日本系が主流です。たまにベトナムとかタイとかフィリピンとかイスラエルとかレバノンとかメキシコとか見ますけど、やっぱりそれぞれの国の人たちがたむろってる感じはしました。
それでも国技は現地の人のみ
元々ニュージーランドは大航海時代にイギリスが来たときに、現地のマオリ族が迎え撃ってバチバチ争いをやったことで市民権を得たから、混血が随分進んでいて、純血マオリの人はもういなくなったと聞きました。加えていろんな国からやってくるので、より多民族国家っぽく見えます。が、スポーツ、国技であるラグビーに関してはアジア系の人はついぞ見ません。そこらへんは太刀打ちできないんよね。テレビでライブ中継やってましたが、もはや格闘技に近い(笑)。
あ、オールブラックスってニュージーランド代表のラグビーチームあるじゃないですか。試合前にハカダンスって踊るの見たことあると思いますが、あれって何て言ってるかって昔現地の人に聞いたことがあって、「お前を殺して内臓を引きずり出してやる」って…。さすが血の気の多い人種です。混血が進んで白人であろうがみんなこんな感じ、って、そうではないんだけど、そう勝手に思ってしまいます。だってみんなガタイいいんだもん。憧れるけど、そのためには毎回の食事に幻滅するのではなく食べきるというのが必要なんだな…。
この国で一番驚いたもの
観光しないから今回は食べ歩くどーって思ったけど、途中から歯が痛くなり…。虫歯とかではなく、体が弱ってくると一番自分の身体の弱い部分に痛みが出てくる感じで、自分にとっては歯、というか歯茎の下にあるリンパ腺とでもいいましょうか。もう噛めないくらい鈍痛が激しく、噛まないならいいですが噛めばアウト。身体弱くなってるよね…。無理かかってるんかな…。最終日は飲み物とタバコだけで過ごしました。
それでね、正直何が今回一番驚いたかって、タバコの値段。一番安くて37ドル。日本円で換算すれば約3000円! さすがに買えない。タバコ無理! 前の首相がタバコ撲滅的な政策を出したことも起因しているようです(次の首相はその政策を撤回したとか)。確かに25年前も高かったけど、こんなに高くはなかったよな。手巻きタバコならと思ったけど75ドル! いや誰もアホくさくて買わないわ…。だからなんですね、vapeって呼ばれる電子タバコっぽいお店が多いのは。それを吸っている人が多いのは。ニュージーランドはどこでも吸えるのはいいんですが、吸わない人が多い理由がわかりました。
生々流転の中で見出したもの
1週間の滞在でしたが、オークランドのクイーンストリートしか行き来していませんでしたが、25年前の記憶を蘇らせるいい機会になりました。そして、25年の間に自分の心が狭くなっているのも感じました。
日本は日本で良い国です。それは国民全体で「こうあるべき」的な姿を持ち合わせているからです。それが強さでもあるんですが、脆さも同時にあると思うんです。突発的な事象に柔軟に対応しにくい、ということです。「まあこれくらいでいいじゃないの」的な余裕を持たせてくれないのも事実です。それは進学にしても就職にしても、生活にしても仕事上にしても、です。
25年前、日本に帰ってきてウララという会社に勤め始め、いろんなことをダメ出しされたのを覚えています。別にいいじゃない、ってことも、体裁的な部分でいつもダメ出しされていたことを思い出しました。
そこまでガチガチに生きてて楽しい? ってそのときは思いましたし、多分その感覚は今もあります。「昔からそうしてるから」で自分の行動基準を決めたり、価値観を決めたりすることって、本当に正しいと思ってる? って感じたりもしています。
生々流転。ニュージーランドという国も25年で大きく変わっていました。といっても、変わったことが嫌だとかという感覚ではなく、住んでいる人たちが国の向かう方向を見誤ってなければ、多国籍であろうが、ニュージーランドはニュージーランドであり続けるんだろう、とは思いました。
この国の強みはただ一つ。大自然の恵みです。それを大切にしている感じです(街中ではそこまで感じないですけど(笑))。同じことが日本にも言えるし、それぞれの街にも言えると思います。
日本の強みとは? 福井の強みとは? それを知った上で柔軟性をプラスするのがいいんだろうな、とは思っています。自分が日本に帰ってきたときに感じ、行動し続けてきたことを、この国に再び訪れて確かな言葉にできたと思います。
しなやかにものづくり、しなやかにまちづくり
これだな。福井に帰ってこの言葉に沿うような生き方をしていきます。久しぶりの長文、お読みくださりありがとうございました。
最終日、ほぼ仮眠状態で1時に寝て3時30分に起き、30分歩いてバス停まで行き、5時のバスに乗って空港まで、10時の飛行機に乗って9時間30分、成田からは電車に乗り、上野で乗り換え、東京駅から夜行バスで翌朝9時30分到着。そしてすぐ打ち合わせ…。もう若くないんだし、リンパも熱持つわな…。しばらくはごはん食べれないな…。
ヒデコ イワクニ
なんというか、そこまで、福井と比べなくても。といつも、読ませてもらって思います。
たのしめないんじないかなと。
宮田 耕輔
楽しんでますよ(#^.^#)
吉田正義
今回も楽しく拝読させていただきました。バックパッカーは私も憧れていた、スタイルでした。会社を辞めることが出来ず実現出来ませんでしたが。
ニュージーランドへワーホリで行った何人かの方に話しも聞いていますが帰りたくない方ばかりでしたね。中古の車を買って半年寝どまりして過ごした方もいましたね。
青年は荒野を目指す と 深夜特急 をバイブルにしていた私は宮田さんのパワフルな行動が羨ましい限りです。
PS
今回もこの長編をスマホで打ち込んでいる姿 に 乾杯。
宮田 耕輔
仕事を始めたらおいそれと海外には行けないと思い、会社に入る前に行きました。バックパッカーで寝泊まりできるって、やっぱり若い時代の特権だと思いました。