
閉店のお知らせ
ボクサーパンツ専門店『ラーナニーニャ』の店舗を、12周年となる2025年2月24日をもって閉店します。永らくご愛顧いただいた皆様、本当にありがとうございました。
何故ボクサーパンツだったのか、何故新栄商店街だったのか、いつまで経っても覚えられないあの名前は何だったのか、いろいろと話していこうと思います。
衝撃的な出会い
遡ること2012年、妻と旅行に出かけた時「絶対に気に入る場所があるから」と、連れていかれたのが“モトコー”と呼ばれる、神戸市の元町駅高架通商店街でした。一歩踏み入れるともうワンダーランド。、道幅は人二人分、昭和な匂いしか感じない場所で、両脇には煩雑過ぎるほどのサブカルチャーなお店だったり、昭和な喫茶店があったり、心をくすぐる空間にワクワクしながら歩いていました。
そのとき、ふと目に留まったのが、比較的新しく作られたようなお店。中に入ってみると、それらはすべてボクサーパンツ。派手過ぎるデザイン、いやらし過ぎるデザイン、それまで黒か白かグレーか、くらいしか知らなかった自分にとって、心が沸き立つ瞬間でした。もう“ジャケ買い”的に買い漁りました。
福井の繊維産業は
さて帰り道。あの感動に浸りながら高速道路を走っている間、ずっと考えていました。これまでの編集者時代に取材してきた福井の実情を。そう、繊維産業についてです。取材をすると栄枯盛衰の波が異様に激しい業界で、ちょうど栄“枯”盛“衰”の時代でした。企業はいろんな取り組みをして、アパレルだけじゃない業界にも打って出た企業もあれば、新規の開発よりもOEM的に製造を継続する企業もあるような状態。
調べれば県内で働く人の20%強が繊維関係であり、つまりは福井における基幹産業の一つだ、ということです。しかし、素晴らしい技術を持っていても、メーカーとの守秘義務などもあり、自分たちの技術がそこまで県内に知られていないというのも感じていました。
この“知らない”というのが本当に危険なんです。知らなければ誇りに思えない、誇りを感じられなければそこで働きたいとも思わない、働く人がいなければ技術は衰退する、衰退すれば福井も同時に衰退する、そういう方向に、静かに静かに進んでいくんです。
例えば、日本では紙幣が20年ぶりに刷新されましたよね。伊勢神宮も本殿を20年ごとに建て替えますよね。あれは技術の継承のために行なうんです。継承のギリギリが20年なのでしょう。それを国は知っているんです。
これはどんな業界でも同じです。技術の継承が成されてこそ、企業は永続するのだし、その技術に付随する文化も姿かたちを変えて進化していくのだと。今、目の前にそうした危機が訪れているのを、何とか形にして伝えたいと思ったんです。
ボクサーパンツをおれは作る!
福井の繊維はポリエステル、ポリウレタンなどの化学繊維が得意です。だからそれらの素材で何かを作るときに「そうだよ、ボクサーパンツだよ!」と、ヒントをいただいたのです。
何故か。同じく取材でいろんなデザイナーやアーティストに出会いました。彼らのセンスを世に出したい、それで売れたら彼らに還元しよう、と思ったんです。では、彼らのデザインをどう表現するか、そのときにTシャツならば派手過ぎて誰も着ないだろうと。

でもボクサーパンツなら? 見えない場所になるし、いくら派手でもいくらエロくても、そういうのを身に付けているのは自分一人だけが知っていること。「今日はエロいパンツ、派手なパンツ履いてるんだ」と、一人で気合が入ることで、仕事もプライベートもポジティブになる、そういう流れを作りたいと思いました。
早速翌日当時勤めていた会社の社長に話をして、「新しいビジネスを考えました。パンツ作れる会社教えて下さい」と、ど直球で伝えると、社長はとてもやさしい人で、いろんな会社を教えてくれました。でもって、仕事の合間に会いに行き、打ち合わせをし、当時BNIというビジネスの会合に出ていたので、その人たちに協力してもらい、店づくりを始めます。
ブランド名の由来
そこで、店の名前はどうしよう、となるのですが、何よりも「福井の生地、福井の縫製、福井のデザイン」で作った「All made in 福井」のパンツのブランド名が先だろう、と、家族会議が開かれます。まぁ、家族って言ったって二人ですが(笑)。そこで決めたのが「福井の言葉にしよう」と。
以前、片町のバーのマスターに「何かアパレルのブランド名を付けるなら“ら行”が入った名前がいいよ。いろんなブランドが長続きしているのをよく見ると、ほとんどにラリルレロが入っているから」と。その一言だけがずっと頭にあって、よし、“ら行”が入って福井の言葉………………。何かあったっけ?
と、その時、妻が「いらちかは?」。いやいやいやいや、いらちかってストレート過ぎるやろう、と。いや待て、いやほんと、いや、それいいかも! ってなり、晴れて「イラチカ」がブランド名になりました。
さて、県外の人、そして40代以下の県内の人はこの「いらちか」という言葉を「それ何?」ってなるでしょう。そもそもこの言葉は自分が小さい頃に聞いた方言であって、今使っている人を見ません。使い方で言えば「おえ~、いらちか伸びつんたげ~」とか、「いらちか変えてんでの~」とか。ますますわからないですよね(笑)。
「いらちか」とは、「パンツのゴム」という意味です。「うそつけー!」って思う人もいるでしょう(笑)。いやホント(笑)。それだけに意味があるんです。何故かというと、この言葉の語源が英語なんです。「elastic」という弾力性のある、という意味からゴムになり、そのゴムが多用されているのがパンツなのでパンツのゴム、になっていき、「エラスティック→イラスチック→イラチカ」という風に変化したものと推測されます。お祭りのときに「あまちか」という飲み物があったと思うんですが、あれって「甘い水の入ったゴム(いらちか)」なので「あまちか」と思っているんですが、合ってますか?

「うそつけー!」って思うでしょう(笑)。でもね、もう一つ、福井には英語を語源とする方言があるんですよ。「じゃみじゃみ」です。これ、他の地域でも使っていると聞いたことはありますが、大学時代はこの言葉を使ってよく笑われました。「じゃみじゃみ」とは「テレビの砂嵐」のこと。今はもうなくなりましたが、昔は夜になると番組も終わるので、テレビが「シャー」って砂嵐のようになっていたんです。これも英語の電波妨害を意味する「jamming」から来ていて、交通渋滞のことを「traffic jam」って言うんですが、そういうごちゃごちゃした状態になったときに使われていた言葉なので、昔の福井の人は「じゃみじゃみ」と言い始めたのでしょう。……多分。福井はハイカラやった! と勝手に思っています(笑)。
じゃあ、「イラチカ」のスペリングはどうする? って話になり、いろんな国の言葉を調べました。そのとき、何かのサイトで「ila」という言葉が、イタリアのある地方の方言で「オタマジャクシ」というのを見つけ、これだ! と。「チカ」はイタリア語もスペイン語も「女の子」だから「オタマジャクシの女の子」という意味にしよう、となったんです。
でも、イタリア語で「チカ」って書くと「cica」なんです。「ilacica」ってちょっとバランス悪いなぁ、と。「ウララ」の英語表記を作ったときの社長の感覚がわかりました。普通なら「URARA」って書いちゃうんですが、社長はこの文字の並びに違和感を覚え「URALA」になったというエピソードがあって、そのDNAを引き継がせてもらいます! と、スペイン語の方を選択しました。やっとブランド名「iLachica」が誕生します。

店の名前の由来
はい、ここからお店の名前になるんですが、スペイン語をニュージーランド時代に独学で学んでいたので、スペイン語がいいなぁと、「オタマジャクシの女の子」にかかる言葉で、“ら行”が入るもの、と調べ、カエルを意味する「rana」がいいと、そして女の子は「nina(後ろのnの上に~が付くやつ)」のほうを採用して、「Rana Nina(後ろのnの上に~が付くやつ)」に決まります。

が、ここからなんです。読み方です。普通なら「ラナニーニャ」になるんですが、日本語って実は“拍”が結構大事だったりするんです。前後が同拍でないと落ち着かない言葉のようで。わかりやすい例を言えば「マクドナルド」。日本人は必ず「マクド・ナルド」と3拍-3拍と、同拍で切って読んでしまうんです。本当はカタカナで書くと「マク・ドナルド」の切り方です。
長い名前のアーティスト名も必ず拍を意識して、文字数を意識して略します。「Mr.Children」は「ミス・チル」、「DREAMS COME TRUE」は「ドリ・カム」、「Official髭男dism」は「ヒゲ・ダン」、「SEKAI NO OWARI」は「セカ・オワ」、「ONE OK ROCK」は「ワン・オク」のように2拍-2拍という略し方、そして「L’Arc-en-Ciel」を「ラルク」、「BUMP OF CHICKEN」を「バンプ」、「Mrs. GREEN APPLE」は「ミセス」のように3拍一言で略します。
これは日本語の特徴とも言っていいでしょう。日本語は母音が5個しかないからそうなっていったという見方もできると思います。この考察は日本語の先生がしてくれるでしょう(笑)。つまり、「ラナ・ニーニャ」は「2拍-3拍(文字数は4文字だけど、ニャは1文字で拍をカウントするのも日本語ならでは)」になってしまうから、敢えて前方の言葉を伸ばして「ラーナ・ニーニャ」にしたんです。
でもって、ロゴデザインはオタマジャクシになるんですが、オタマジャクシって福井県の形に似ているんです。だからデザイナーさんに「足が生えてきたオタマジャクシ」を発注します。その際に「尻尾はくるんと跳ねる感じにしてください」と注文しました。何故か。福井県の高浜町の形はそんな感じだからです。そのくらいのディテールで福井県の形に似せていこうとしていました。
で、オタマジャクシって精子の形にも似ているから、パンツを履いて気合入れて! という意味も込めています。よく「勝負パンツ」という言葉がありますが、もちろん女の子とのデートで気合を入れる勝負パンツもありでしょう。しかし大事なプレゼンや、大きな大会進出がかかった試合・演奏会など、人生において大事な“勝負どき”ってあると思うんです。そうしたときに、福井のパンツを履いて気合を入れて臨んでもらえたら、という意味もありました。
お店の場所は一択

では、どこにお店を出すか。これはもう一択でした。新栄商店街です。それ以前に新栄商店街で活動していた「きちづくり福井」の事務所が新栄商店街にあったこと、インスパイアされた“モトコー”の雰囲気に似ていること、「福井駅から降りたら福井の繊維を使ったお店がある」という流れを作りたかったこと、そして何よりも中央1丁目という住所なのに家賃が一棟貸しで4万円だったということ。
新栄商店街は戦後にヤミ市としてスタートし、住居兼店舗の形で繊維関係の小売店が軒を並べ、一時は道幅が人であふれかえってすれ違うのもままならないという時代もありました。このアーケードだって、商店街の人たちが自助努力の末に建てたものらしいです。

でも入居当時の新栄商店街はシャッター商店街で、ある意味街のお荷物的な存在でもありました。それ以前に、新栄商店街という名前すらも、誰もが忘れていたのです。もちろん昔からやっているお店もありました。でも、シャッターばかりが目立って、古臭くて敬遠されていた、というのもあります。
それでもこの場所はきっともっと良くなる、この昭和な感じがいつか再評価される時代が来る、そう思っていました。それに北陸新幹線は必ず福井まで来るというのもわかっていました。だから新栄商店街を選んだんです。
人の意見は気にしない
オープン時、いろんな人に言われました。「新栄商店街ってどこ?」、「駐車場ないと無理だよ」、「何で郊外行かないの?バカじゃない?」などなど。そんな意見は意に介しませんでした。「わかってないなぁ」というのが率直な感想だったから。
まず、これはまちづくりの考え方ですが、街というのは中心が栄えてこそ、郊外に広がっていくものです。日本における街の作り方は、鉄道、そして道が中心となって形成されます。福井で言うなら福井駅ですね。ここはまごうことなき中心地です。戦国時代から江戸時代、そして明治大正昭和平成令和と、今もなお中心地であり続けています。

人口減少が叫ばれている中で、どうしても街はコンパクトに、いろんなものが収れんされていくものだと考えています。2000年初頭の「月刊ウララ」でもまちづくりに対してのコラム的な提言を毎月書いていました。そこで書いたのが交通網の集約化。公共交通機関の充実を、駅周辺から半径約5km圏内に集中させることで、より街はコンパクトながらも充足感のあるものになる、と。
そうしたら約10年後、その東西南北エリアに「すまいるバス」が誕生しました。公共交通機関の充実化の一つですね。今も走っています。自分もほぼ毎日使っています。それ以前から、福井の公共交通機関の結節点は福井駅です。つまり、中心地は福井駅とその周辺なんです。だからせめて休みの日くらいは近くの駅や停留所から公共交通機関を使って移動してほしいという思いもあります。当初はコインパーキングのコインを渡していましたが、徐々に「コイン欲しい」の声もなくなり、結果的にいらなくなりました。
大事なのはストーリー
地方都市にありがちな、車社会の利便性による郊外化、というのは避けられない流れです。確かに福井型SCという、全国でも特殊な形態のSCが街の中心から見て東西南北に出来上がりました。それはそれで郊外の方々には利便性もあっていいと思います。
自分が欲しいのは「ストーリー」です。人の営みの連続がストーリーを生み、文化を生み、街を作るのです。これは福井のまちづくりをすると、高校2年生の時に決めてから、学び続けて出した結論です。ストーリーのない街に文化は生まれない、と。それはどんな地方都市でも同じことです。道や駅ができ、人の往来があり、人の営みが生まれ、産業と文化が育っていき、その連続で“街”というものが完成するのです。
ので、郊外に店舗を構えるというのは微塵も思いませんでした。福井の文化の中心地であるエキマエの発展こそが、福井の発展につながるのですから。昭和生まれだから、やっぱり昭和が好きなんですよ。それに「きちづくり福井」で活動していたから、新栄商店街には愛着もありましたしね。
知らないを知るに変える
そして「知らない」という点。知らないのなら知らせればいいんです。少しずつ、何かを発信できればいいんです。ちょうど日本でもSNSが使われ始めた頃ですし、自分にはある意味特権のように「月刊ウララ」がありました(笑)。企画を作って取材をして発信をして、少しずつ少しずつ認知度を高めていきました。

イベントも、近くのお店の人たちと一緒にやりました。いろんな踊りを行なう「ペーニャ」とか、新栄テラスの運営も任されたので「ねこ祭り」とか「パンダ祭り」とかしました。お店ではファッションショーも商店街を抜けていろんなお店でやりました。とにかく何か行動を起こすこと、それが大事でした。










その行動が本当に少しずつ少しずつ商店街の見える化につながり、『かくれわ食堂』をはじめとする飲食店も出来ました。福井では不可能とされていた“立ち飲み”文化も、新栄商店街だから可能だったとも言えます。何故って? 立ち飲みって、昭和の風情が残っている方が絵になるからです。
飲みに行くときに大事なのは“場の雰囲気”です。家で一人で飲む缶ビールも、河川敷で焚き火を囲んでみんなで飲む缶ビールも、昭和な雑多な雰囲気で飲む缶ビールも同じ缶ビールですが、その時々の雰囲気、その場所にいる人たち、それでお酒の味って変わるんです。立ち飲みって、そうした“場の力強さ”が非常に大事だと思っていて、だから新栄商店街でしかできなかったんだろうと思いました。





新幹線開業に向けて
そんなこんなで10年が過ぎる頃、ようやく福井の人の重い腰が上がり始めます。新幹線開業です。この時点で新栄商店街はお店の入店出店を全部数えたら「純増30店舗」になっていました。あれだけ誰も知らない、誰も来ないと言われていた商店街が、10年で純増30。その数字を見て、商店街を発信し続けてよかったなぁ、と感慨にふけりました。
その頃から「どっかお店空いてない?」という声が聞こえ始めます。そういう言葉が周りから出てきただけでもありがたいですし、認知度も高まってきたんだと感じました。その時点では入れるお店もありませんでした。使える店舗はほぼ埋まっていたんです。
街は再開発だけがまちづくりじゃありません。リノベーションという選択もまちづくりです。再開発一辺倒ではない街のあり方を選んでくれた地主の方、大家の方の英断に心から感謝します。入居当時は再開発一辺倒、朽ちるのを待つ商店街だったのが、今やウェディングフォトを撮りに来る人までいるくらいですから。昭和の雰囲気が再評価された感じでした。
そして第2ステージへ

その流れで大きな変化がやってきます。『コノジナガヤ』の建設です。これは10年の活動の流れの中で生まれたものです。地主さん大家さんたちがリノベーションを選択して商店街の空気を維持しながら、新しい時代の商店街を作っていくという取り組みです。
建物はどうしても朽ちていきます。新栄商店街も永遠ではありません。かといってゼロから作らなくても、空気感は残しながら変えていけばいいんです。『コノジナガヤ』はその一つの答えでもあります。『ラーナニーニャ』は業態を変えて、妻の念願の夢でもあった紅茶のお店を開きます。『MAGO GALLERY FUKUI』も『コノジナガヤ』に移転します。
新栄商店街復活の第2ステージが始まります。ボクサーパンツ専門店は名残惜しいですが、お店の話こんだけ書いてきたけど(笑)、閉めます。オンラインで細々と販売していきます。もちろんオリジナルパンツの受注も可能です。ただ、手に取って生地やデザインを確認するリアル店舗は閉めます。もしかしたらポップアップショップをやるかもしれません。閉店セールとかはしないですが、是非また遊びに来てください。
永い間、本当にありがとうございました。次のステージでまた会いましょう。
なんか色んな歴史があることを知りました。
新しいお店も期待しています!
いろいろと考えすぎてこねくり回し過ぎて、結局名前を憶えてもらえなかったという…(泣)
ありがとうございます。紅茶のお店も期待してください!
お付き合いは、長くはありませんが、宮田さんに出会って、新栄商店街に出会って、MAGOさんに出会って、あかしあさんに行って、かくれわ食堂を紹介してもらって、アイリッシュスタンドバーを見て、初めて見た時に感じた可能性に、間違いはなかったと感じています。第2ステージ、応援しています。文化は人が集まり、動くことで生まれます。そして、想いが強ければ、よりいい文化が生まれると思います。 文化の成長を感じるそんな街でいてほしいですね。
たいほうさんのような方が新栄を気に入っていただいて光栄です。
共にまちなかの文化を育てて行きましょう!
このお店の前で声をかけて、飲みに行き、映画に出て、駅前の面白さを知りました(^^)
大切な思い出の場所です。
次のステージも楽しみにしてます
ありがとうございます!
今年は映画祭も10周年ですので、大きく作っていこうかと思います!
宮田さんてほんとすごいよね。10年ほど前に恐る恐る新栄に足を踏み入れて、明らかに存在を無視できない真っ赤なお店を見つけて、ビビる連れを強引に引き連れてお店に入った時の記憶が蘇りました。
当時の新栄と今とでは隔世の感があります。
ラーナニーニャは惜しいけど、フクイノミヤタが次に何やるか楽しみにしてます!
僕も頑張ります笑
ありがとうございます!
石田さんのように、東京から何度も足を運んでもらって、映画まで作ってくれて、いろんな人を連れてきてくれて、助かりました!