
高岡の原風景
富山県高岡市。自分にとっての高岡市の原風景は、今から約50年前に母親に連れられて霊感の強いおばちゃんのところに行った記憶。何故そこに行ったのかもわからないんですが、かすかな記憶だと、たくさんの人がいて、一人ひとり順番に診ていたこと。それ以来降り立つことのなかった場所に今回来たのは、”悪い友達”(笑)の石田さんからある人を紹介されたことがきっかけでした。
その方は高岡市でいろんなことを手がけている東海さん。面会場所は「土蔵造りのまち資料館」。車で行こうかと思ってましたが、我が家では1台の車を共有している関係で、嫁が使うということもあり、公共交通機関にて。そりゃ新幹線使えば一本ですが、せっかくですからね、普通列車で行きましょうと調べてみたら、意外とそれぞれの会社で時刻表の見せ方が違って、使いやすさとかの比較ができました。
使いやすさで言えば「あいの風とやま鉄道」>「ハピラインふくい」>「IRいしかわ鉄道」かな。加えて自宅からだと「すまいるバス」、さらに高岡で「万葉線」と、とにかく乗りまくることになります。もちろん、時間的なことを考えれば新幹線一択ですが、普通列車では本を読む機会が得られるので、本を読みたいのでこちら一択。
今回の本

今回持参したのは、いつもかばんに入れてある『日本文化の核心』。編集工学という言葉を提唱してきた松岡正剛さん。これずっと読みたいと思ってたんです。日本の言葉や文化のルーツを探る旅というか。やっぱり日本最古の”物語”『古事記』の影響って大きいんだなぁ。
てか、この本の編集で一番気になるのが、断定形とですます調が混在していること。これ口述をそのまま載せた感もしないわけではなく、松岡さんのことだからわざとやってるんだろうけど、こうした”ノイズ”が自分にとってはどうにも…。ただ、内容的には日本国民熟読マストな本です、マジで。
裕福な街・高岡

高岡市にちょっと早めに着いて散策とごはんでも、と、歩いてみたものの、意外とお店が閉まってて…。近くのカフェにてハンバーグをば。しかし、人形店と仏壇店が多いのは、ある意味裕福な街だった、ってことだと思いますが、やっぱりそうでした。
高岡城の城下町であり、北陸道の中継地点であり、問屋街であり、北前船で水運の船着場であり、信州から武士の次男坊三男坊が移住して教育水準が高い街であり、と、とにかく”レベルが高い街”なのです。

火事の功罪
高岡市といえば錫製品に代表される「高岡銅器」と「高岡漆器」が伝統工芸品に認定されていて、街の模型を見ると配置的にもまんま「金屋町」と呼ばれて川向かいにあるという。火を扱うから火事が怖いし川の向こうに、って配置されたのはいいけど、むしろ1900年に問屋街の側がほぼ火事で焼失したっていう皮肉。金屋町のほうは火事が起きていないので、江戸末期とかの建物もあるらしいですよ。
ただ、この火事があったことで、当時の最新の防火設備である”土蔵造り”が浸透したわけで、結果現在は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されている、古き良き街並みになったそうです。

福井だとこうした街並みはそれこそ熊川宿であったり今庄宿であったりするんですが、高岡が別格なのは”道が広い”ってこと。これもしかして、昔の広さなんじゃないですかね。昔から残っている家がセットバックしてない気もするし。この道から垂直に伸びる道が車一台分の狭さなので、空襲の大きな被害もないから昔の街と道が残ってるやろうし、ホント大通りやったんやろなぁ、って。
そうそう、教育水準が高かったのでこちらでは天神講もしっかり残ってます。なので「カレイは食べるんですか?」と聞いたら爆笑されました。「カレーを食べるんですか?」に聞こえたから(笑)。紛らわしい(笑)。カレイとカレー。まさか天神講にカレーライス食ってたら相当エキセントリックな街やて(笑)。ま、でも焼きガレイを食べる風習は福井県だけみたいで。
なんでカレイを食べるようになったかって、これまた”福井あるある”の諸説だらけ(笑)。でも語呂合わせ説もあるから、近い未来にカレイじゃなくてカレーライス食い始めるんじゃないかな、福井人のことだから(笑)。

やっぱり全体地図を見ると街の作り方が見えるから面白いですよね。城がここで地形がこうで、だから町名がこうで、って。名前には必ず意味や理由が存在してますから。ハンバーグを食べたお店が「コンマ」だったのも、場所である小馬出町が「こんまでまち」と呼ぶから。小馬をこんまと来たかぁ。この城下町だし、近くには「御馬出町」ってあるから、お武家さんと関わりありそうな感じですねー。片原町も片原町って名前で残ってるし。福井や金沢の片町は元々「片原町」なので、あーここまでがお城やったんや、とか。

アーティストインレジデンス
で、東海さん。都会から高岡に戻り、ウェブ制作会社を経営しながら高岡銅器と高岡漆器のお店を開き、そして今、「土蔵造りのまち資料館」の指定管理をされています。ちょうど今は、国内外からのアーティストインレジデンス事業で多くのアーティストさんたちが作品制作をしていました。
となれば知りたくなるのが「いかにマネタイズするか」です。つい最近「アートプロジェクト支援事業助成金」の報告会で同じことをされた方が言っていたのがマネタイズのあり方。少し前に永平寺町でもやられていて、結果どうなったのかは推して知るべし、で、ずっと気にはなってたことだったんです。その内容は聞かせてもらいましたがヒミツ、ということで。

でも、アーティストとしては高岡市に来たいと思わせる何かが必要なんでは、って思っていたので、アーティストの方に聞いてみました。その答えは「刺激になる」とのこと。どうしてもアーティストは自分の感性を作品にぶつけるので、一人でこもって制作に励みます。だから時々息が詰まることもあるそうで、そういったときに、他のアーティストが近くにいて、環境も変わるレジデンス事業は感性を磨かれる、刺激になる、ってことです。


どこでもA.I.Rは可能なはず
なるどなぁ。この重伝建の建物で行なうってのも意味があるのだろうし、制作現場と展示会場が同じってのも意味があるのだろうし。インスピレーションが出てくる場所って日本ならどの場所でもあり得るような気がします。
つまり、福井でも可能だってこと。江戸、明治、大正、戦前の建物や資料館って、福井にはいろいろ残ってると思います。でもその多くが行政主導で維持されていて、使い方にしてもいろいろと制限がかかっている感じです。今回東海さんは指定管理という形で運営し、建物は傷付けずに照明や装飾、使われていなかった場所まで使えるようにするなど、行政側との交渉でシャレオツな感じに仕立てました。
イベントも実施したりして来場者数を2倍にして、使いやすさも含めた認知度を上げることに成功しています。加えて奥さまが富山県のアートイベントでの通訳もしていたことから、アーティストインレジデンス事業が可能になったってことです。
やっぱりこの先は英語だな(笑)。英語が話せるのと話せないのとではアートだけでなくインバウンド観光を取り込めません。ま、それ以上に国語を勉強する必要もあるんですが。つまり、言葉というのはとても大事だってことです。対話でコミュニケーションを取ることが大事だってことです。国内外問わず。今では翻訳の機械も高性能化されて、昔よりも障壁は低くはなっていますしね。言葉が通じない相手との対話は積極的に行なっていきましょう。
地域の当たり前をサービスに

そして東海さんが新しく始めるのが、インバウンド観光のマッチングサービス「VANCHA」。今回石田さんがつないでくれた本題はここでした。また本題まで長過ぎる(笑)。
海外からの旅行者は結構長期間日本に滞在します。いろんな街に移動もします。ビール屋さんでバイトしててもそんな方ばかりです。そしてこれまた東海さんの見方と同じで、そういう方々って実は行き先とホテルだけ決めて、あとはノープランなんですよ。ビール屋さんでバイトしててもそんな方ばかりです(笑)。
つまり、「明日何しようかな」の”何か”を、地元の人たちが地元で当たり前にしてることをツアー企画にする、というサービスなんです。例えば地元の人と居酒屋で一緒に飲む、ってのもありです。地元の人ならではのジョギングコースを一緒に走る、ってのもありです。当たり前過ぎて見逃しがちな地域のいいところを、再確認、再認識してサービスにするわけです。
これだ! 同じ感性の人がいた! 実は観光ガイドアカデミアを開設したのもここが原点です。地域の人が当たり前過ぎて知らないことを知る機会を作ってマネタイズする、って。マネタイズできれば自発的にもっと勉強するし、知ればもっとこの街が愉しいと思えるし、結果この街を好きになってくれるし。伝えれば伝えるほどコミュニケーション力が高まることで、より相互理解が深まるし。

観光ガイドも今年からスタートしますが、VANCHAとのコラボ、というか、英語でのガイドを通じてこの街を、自分も含めて相互理解できるな、って思いました。自分できるけど、しません(笑)。アカデミアのアルムナイたちに勧めます。
ホント、1時間30分だけの話でしたが、時間かけて来て良かったです。今ならオンラインでも話はできますけど、リアルで会うことに意味があります。リアルで会わなかったらアーティストさんの話も聞けなかったし、1900年の大火でも焼け落ちなかった蔵を見せてくれたし。いろんなヒントを得ることができた1時間30分でした。