みなさん、お元気ですか?
みなさん、お元気ですか? 新型コロナウイルス、って文字、一体どれだけ打ち込んだろうと思うくらい、ここ数カ月はよー使ったなぁ、って感じです。
自粛、外出禁止、休業、etc……。さすがの自分もよー家にいました。飲みにもいかない、遊びにも行かない、妻のお店もお休みなので、エキマエに行くこともない。何をしていたか、とカレンダーを見てみると、参加している「BNI」の取り組みの一つで「1to1」という、“タイマンで仕事の話をしあう”ということをずっとしてました。zoomで。
そう、会わずに会う、というやつですね。オンラインで会う。リアルで会わなくても、相手の顔も声も分かる。距離も関係なく会える。移動しなくても会える。やってみて思いました。
「めちゃ楽やん( ゚Д゚)! もうzoomでええわ」
「BNI」ってビジネス紹介組織なので、「この人にはどんな人を紹介できるか」というのを、自分の人脈や、これまでの仕事で出会った人から紹介するんです。でも、毎週木曜日にやっていても、自分の話ができるのはたったの30秒。人の話って、30秒だけで伝わるもんじゃないです。メモ取っていれば別ですけど、30秒を矢継ぎ早に60人も言われたら、普通は書き取れません。それは逆もそうで、自分の30秒のプレゼンテーションも伝わっていない、ということを考えたほうがいいんです。だから、“タイマンで話す”ことが大事なんです。一人当たり1時間。1カ月で約40人と話してました。平日の稼働時間が8時間とすると、25日×8時間のうちの40時間。つまり、1/5は「1to1」をしていたことになります。家から一歩も出なくても、40時間は話してたわけですね。仕事の紹介もできたわけですね。StayHomeでもやれることはあるんですね。
「めちゃ楽やん( ゚Д゚)! もうzoomでええわ」
はい、何度でも言います(笑)。会えなくても会える。これです。東京のメンバーさんとも 「1to1」を しました。とても近く感じました。「リアルで会いたい」と、とても思いました。間違いなく、近々会うことになるでしょう。
オンラインというコミュニケーション
オンラインって、物理的な距離も移動時間も超越する、ってだけを思うでしょ。それに加えて“心理的距離間”も縮めてくれるんです。例えば、「初めましてー」、という人がいますよね。その際、その人と話をするときにある程度の壁、みたいなのありませんか? そりゃあ初めてだからどんな人かもわからないし、一応は一種の警戒感を持って接しますよね。社交性が高い人ならそんなこと考えずに突っ込んでいきますが、全員が全員社交的、というわけではありません。そんなときにオンラインが役立つなぁ、って感じます。zoomならある程度の距離感があるので、ここで距離をお互い近づけ合えれば、リアルのときにもっと近く感じられて信頼感も高まるんです。ちなみに、自分は壁をほとんど作りません。基本的に人見知りしないし、どんどん突っ込んでいきます。が、“とっつきにくい人、近づきにくい人”とはよく言われます(笑)。何でなんやろ…。
さて、オンラインでもオフラインでも、仕事の話をしあうにあたって、相手のことを知ることから始まります。知らない人に仕事は任せられませんよね。相手がどんな歴史を辿ってきたのか、どんな思いで仕事に取り組んでいるのか、どんな性格で、どんな趣味で、どんな価値観で、どんな未来を描いているのか。とにかく聞きます。
今の仕事で培ったもの、それは“聞く力”というものです。それを養うのに必要な資質として“好奇心旺盛”というものがあります。人に興味を持たなかったら何も始まりません。だから好奇心からよく質問します。そしてたくさん聞きます。だってその人を知りたいから。その手法については、ここでの本題ではないので割愛しますが、それはオンラインでもまあまあ可能です。zoomなどの顔が見えるものなら、まあまあ可能です。逆に電話やメールでは基本的に難しいです。
何故難しいか。電話やメールって、“顔が見えない”からです。100歩譲って電話なら声のトーンとかである程度相手の感情を量ることはできると思いますが、メールは“温度がない”から、さらに難しいんです。昔、世界にEメールが登場して、仕事でも使われ始めたとき、クレームが大量に発生しました。「なめとんのか!」とか、「不愉快なメールが送られてきました」とか。
何故か。オフラインや電話で会話をしているようにメールをしたからなんです。これ、すぐわかります。一度会話中に話した言葉を一語一句そのまま文字に打ち込んでみてください。それを話した相手にメールしてみてください。相手はきっと、少しイラッとすると思います。話しているときは思わないのにメールにすると思うのは、人って文字だけで情報を受け取ってしまうからなんです。会話は人の顔や声のトーン、身振り手振りでその真意を得ています。が、メールって文字だけ、それもデジタル。もう温度ゼロの世界。それでいて口語を文字にすると、結構キツく当たるんですよ。だから、友達との会話をメールで、なんて普通にやってったら、友達関係壊れました、って話も、よーありました。
だから日本人はそれを解消するために絵文字や顔文字を作ったんです。「こういう思いで送っていますよ」って意味で。そういう部分は日本人の柔軟性の高さだな、とは思います。が、仕事で顔文字や絵文字は使えませんから、やっぱり文字だけなんですね。そういうのも理解してきた若者が増えたおかげで、この20年で日本人のメールの打ち方は相当進化したと思いますよ。クレームが発生しないくらいに。言うてしまえば、ちゃんと建前で連絡できる、という意味で、なあなあの関係を解消していった、ともいえるのではないでしょうか。まぁ、別の意味で言葉の上げ足を取る人は増えましたし、誹謗中傷のSNSはなくなりませんし。ビジネス上だけですね、進化してるのは。
あと、これだけは言っておきます。文字だけといっても、手書きの手紙は別です。手紙には筆圧や文字、それぞれ違いますし、その行間に思いが見えてきます。これは実感できますし、実感しました(^^; それを相手に知ってもらうためにも、久しぶりに手紙を書いて送ってみてはいかがでしょう。
新しい生活様式って?
さて、コミュニケーションも非接触、オンラインで事足りる、なんて書くと、ホントにそれだけでええのんか!? なんて声も聞こえてくるでしょう。ここで一言言うなら、「実際にそれだけで事足りるってことはないです」ってだけは伝えておきます。オンラインコミュニケーションは、オフラインコミュニケーションを補填する、って感じで捉えるほうが正しいかもしれないです。
かといって、今の世界的な情勢を鑑みて、オフラインを積極的には推奨できませんし、したくもありません。どうしても、これまでがオフラインだけ、という状況でしたので、「オフラインじゃなきゃあかんのや!」と言う方々もまだまだたくさんいらっしゃいます。確かにそうでしょう。わかります。自分もそんな感覚持ってます。
ただ、それでは通じない世界が目の前に現われているのも事実だ、ということも忘れてはいけないし、理解しないといけないんです。言うなれば、オフライン至上を言い続けていると、コロナ禍の今は「前時代的だよ。ダサいよ」って周りから言われかねないです。懇親会とか飲みに行くことは問題ないんです。ただ、それもまた、新型コロナウイルスの影響をふまえつつ、自主的価値観の中で参加するしないを決めていくものだ、ということです。飲みたかったら、それぞれ飲みたい人を誘って行けばいいんです。 オフライン飲みニケーションの時代の終焉は、目の前にあるんです。 飲み会の有無は会議の議題ではありません。ただ、飲み会ありきの会議なら、何も言いません。飲み会すればいいと思います。その代わり、第2波の第1号にはならないでください。
時代は変わるんです。これまで学校で習ってきた江戸から明治への移行と同じくらい、変革が押し寄せていると考えてください。もう後戻りはできない、というより、不必要なものが排除されていっている、と思ってください。きっと、江戸時代の人たちは、明治という変革を取り入れるか、反発するか、だったと思います。取り入れた人は少なくとも大正、昭和、平成を生き抜けたと思いますが、反発した人は、明治すらも生き抜けなかったでしょう。あなたはどっちにいたいですか?
「新しい生活様式」は、新しい価値観を産み出していくことです。「数ヶ月ガマンしたから、元に戻るって」と考えている人は、世界に取り残されるでしょう。それくらい、大きな変革が来ているんです。その変革の波を上手く乗り越える人が、令和の次、そしてその次も、その次も生きていけるでしょう。
「新しい生活様式」は待っていても誰も変えてくれません。自分自身が「変える」という意識の下で、明日からの行動を変えなければならないんです。
これらの話はとても抽象的です。何故なら、新型コロナウイルスの影響は、すべてのジャンルに当てはまるからです。つまり、それぞれのジャンルで変えていけることがある、ということです。一人ひとりが自身を振り返り、何を取捨選択し、何にフォーカスしていくか、いろんな人にいろんなジャンルの話を聞いてみてください。「1to1」をすることで、自分が関わる世界をどう変えていけばいいか、ヒントが見つかるはずです。そして、自分の身の回りにあった「これまでのせかい」から、是非「あたらしいせかい」を築いていってください。
栗原哲朗
全く仰る通りだと思います。個々人がwith coronaの時代のnew lifestyleを身に着けるとともに、社会経済システム全体も新しいシステムに転換していかないとだめなんでしょうね。今回のコロナ禍で思い知ったこととは、東日本大震災の時もそうですが、それ以上に、現代社会の基盤が脆弱だということではないかと思います。我々はひょっとしたら砂上の楼閣の上に安穏と生活しているのかもしれない。それはちょっとした自然の脅威で脆くも崩れ去る。だから、今後は脆弱さを少しでも取り除き、柔軟に対応でき、持続できる耐久型の社会に転換していくことが必須なのではないかと思います。今後、さらに新型の感染症や、南海トラフ、そして身近なところでは前回の地震から70年以上経過した福井地震もいつ起こるかわかりません。何が起こっても雑草の如く生き残り、再生して行ける最低限のシステムと生き方を確立したいものです。政治も行政も経済界も消費者もすべてがそうした思いを強く抱いて、積極的に方向転換すべきことにそれぞれが取り組んでほしいと思うのですがうのですが・・・ そして都会と地方のありかたも変わるでしょうね。