朝もカニ
気がつけばもう朝ごはんの時間。普通な感じでと思ったら、大きな鍋が…。あー、言うてた。おじやや。朝までカニ攻めでした(笑) 昨日のカニを出汁にしたおじやも完食いたしました。朝から贅沢三昧でした。もう今日は何もいらんやろ…。
カニの聖地らしいミュージアム
昨日時間なくて今日にスライドした『越前がにミュージアム』、朝イチはここからスタートです。こちらは何度かお邪魔させてもらったこともありますし、ロータリークラブで紹介動画確か作ったなぁ、ということで、そちらを掲載しましょう。
ズワイガニって何種類かあって、カニだけでいえば相当な種類があって。生態からカニ漁の詳細まで展示してて、いろんなカニが生きたまま展示されたり、世界中のカニの標本があったり、カニ漁船操縦のシミュレーションゲームまであったりと、ここまで尖ったミュージアムもないよなぁ。外観までカニを見立て、道の駅と一緒になってて、温泉施設まで目の前にあるから、観光の中心的スポットになってます。
あ、今まさに、カニの子どもが孵化してます!何万匹って幼生が動いてます。越前がにの子ども、今しか見られないです。ちょうどよかったです。これ全部大人になるといいのになぁ…。
大富豪こそ地域貢献
で、次に向かったのが『北前船主の館 右近家』。福井で唯一くらい、北前船主の豪邸を資料館にしてます。というより、資料館にできるくらいの資料が残ってる、ってことなんです。こちらも何度も取材してきたのである程度理解はしてます。分家してもらった、たった一隻の小さな廻船からスタートして、最大級の北前船主まで上り詰めた右近家。今の損保ジャパンの前身の保険会社を設立しました。
何が素晴らしいって、この生家を資料館として町に開放したこともそうですが、山の中腹にある西洋館という別荘を、地元の人たちにお金が落ちるように作ったり、そのために引いた水を地元の人も使えるようにしたり、物流をよくするために武生と河野の間にトンネル作ったり、とにかく地域のために尽力してきたってこと。こういった、お金持ちがちゃんと地域のためにお金を使う、ってことこそが地域貢献なんだろうな、って思いました。
西洋館の中には当時のヨーロッパで買ってきたものとかも置いてありますし、西洋館周辺を立体庭園にするために道を整備したりもして、見るとこ満載です。
で、この右近家が作ったと言われる河野と武生を繋ぐ「春日野隧道」、どこらへんにあるんやろ、って調べて、google先生も書いてない道をひたすら上っていきました。この道を昔の人たちは歩いてたんかー、としみじみと感じてました。それをきちんと舗装してあるってことは、町もその文化遺産を残してる、ってことかな、って思ったら…! 倒木に阻まれました…。なかなかの鬱蒼とした中にあるみたいで、見てみたかった…。
トンネルといえば……
トンネルといえば、時代が下って鉄道が敷設された頃の遺産が敦賀には残ってますよね。高速道路と並走している旧国鉄線路跡。車一台分の幅しかないトンネルになっていて鬼渋道路です。せっかくなので、敦賀に向かう道として向かいましょう。
国際港湾都市・敦賀
敦賀もまた、北前船で賑わっていました。当時の隆盛を感じさせるのが敦賀市立博物館です。ここには日本最古のエレベーターが残っています。当時の銀行を資料館にしてるところ、三国に合い通じるものがありますね。
北前船だけでなく、敦賀はずっと交通の要所として栄えてきてました。それこそ、ずっと遡れば京都や奈良に都があった頃は交流の玄関口だったし、北陸道の要所だったから北陸道一ノ宮と呼ばれる気比神宮が敦賀にあるのだし、それこそ日本とヨーロッパをつなぐ鉄道「欧亜国際連絡列車」の日本の出口だったし、日本でも有数の国際港湾都市だったです。新潟でも富山でも石川でもなく敦賀。地図で見ればわかりますが、一番太平洋側から近い、山という障害も比較的少ない日本海側の港なんです。
人道の港・敦賀
だから、第二次世界大戦時代のポーランド孤児やユダヤ難民を受け入れたのが敦賀だったんです。『敦賀ムゼウム』はその歴史を伝えてくれてます。去年新しくしまして、元の場所から移動したんです。なんでだろうと思ってたら、昔の写真見てビックリ。当時の場所に当時の建物をそのまま再現してたんすね。よく理解できました。
戦争は子供の未来も奪ってしまいます。一人でも多くの子供のを救いたいという精神があったからこそ、今に命を繋いでいる人たちがいます。きっとこの場所は人のために何かできることはないだろうか、って思わせてくれる、情操教育にはうってつけの場所だろうな、って感じます。ちょうどポーランドの切手展もやってて、2年前の記憶が甦りました。福井とポーランドって、繋がってるよなぁ、ってしみじみ思います。
やっぱり福井と朝鮮半島は繋がってる
この旅の最後は敦賀駅。今急ピッチで新幹線が作られています。それを見たいのではなく、駅前に設置されている像を伝えたかったんです。
都怒我阿羅斯等。読めます? 普通読めませんよねぇ。「ツヌガアラシト」って読みます。朝鮮半島の王子とされてます。『日本書紀』に登場する人物で、ここから都に行ったとされてます。つまり、半島を出たら潮の流れで敦賀に到着する、っちゅうことです。名前も似てるでしょ? 敦賀の名前の由来とされてるんですよ。最初は角鹿(つのが)になりましたが、めでたい字を使おうと、漢字を変えて今の敦賀に変わったんです。つまり、当時の日本よりもはるかに文化が優れていた大陸や半島に近い街だったんです、福井って。となれば、福井弁のイントネーションも、当時の最先端の言葉だった、ってこと!?
この旅は、福井がどれだけ世界と繋がっていたのか、その結果どんな文化が根付いたのか、って旅でした。やっぱり海って世界の入り口なんですね!
おわり