ここで合ってる??
我が家では年に2回、旅をします。行き先はいつも決まった場所。7月は兵庫県の瀬戸内海に浮かぶ家島、そして12月は和歌山県の白浜。家島は「あなごのしゃぶしゃぶ」を食べに、そして白浜は、言わずと知れた「パンダ」を見に(笑)。
といっても、自分にとってそれらは副題のようなもので、主題は「会いたい人のいる、居心地のよい場所に身を置く」ことです。家島は『志みず』という料理旅館で、かずさんというオーナーとの語らう時間でもありました。ですが、突然亡くなってしまい、そのDNAを受け継ぐみんなとの語らいを楽しみにしていました。
そして白浜。「絶対にあなたに合う人だから」と嫁に教えてもらった『霧の郷たかはら』の通称ジャンさん。でも小竹治安さんという、れっきとした日本人です(笑)。昨年まで小竹という名字を「こたけ」と思っていたのですが、「しの」と呼ぶそうです。つまり、「しのじあん」さん。今年の一番の驚きでした。なんで「小竹」を「しの」なんだろうと思っていたら、しの笛から来ているそうで。しの笛って、小さい竹を使うでしょう? そこからみたいですね。
初めて出会ってFacebookでお友達になって、それぞれの活動を見てきたので、会うたびに久しぶりだとは思ってなかったんですが、泊まりに来るの5年ぶりって、それも驚きでした。そっかぁ、この間コロナとかもあって、3年間は長くて短い3年間でしたもんね。気がつけばそんなに経ってたのか…。
だけど、5年ぶりって実感したのはこの宿に向かうとき。向かうまでの看板とかはいくつもあったんですが、何度も何度も「こっちで合ってる?」って嫁に聞きながら、それでも辿り着かないくらいの山道。ホント不安になりました(笑)。本当にこの先に人が住んでいるのか? と思うくらい、山道を登っていきます。でも、この後、これが熊野の姿なのだと気付きます。
で、間違いなくあるんです。この先に集落が。開けた場所は、下の集落を見下ろせる高台にあり、当然ながら熊野古道の通り道。歩くとわかりますが、道に沿って宿だった家や、家の跡地が点在しています。いにしえの道は、街道跡のような今栄えている町並みとは真逆の、ただひたすらに神に向かおうとする純朴な道、という表現になるでしょうか。
この集落に人工的な観光地なぞありません。煎りたて挽きたてのコーヒーを片手に宿から見える景色を眺めながら、紡がれた”縁”によって同じ日、同じ屋根の下で過ごす人たちと語らう時間。これほどbeingな旅はないだろうと思うくらいの居心地の良い宿です。
beingの旅を演出する「人」
それもこれも、ジャンさんの人柄に拠るものです。壮絶というか面白いというか、そんな人生を送ってきたから、いろんな人を受け入れる器が半端なく大きいんです。この「受け入れる」ことが人を呼び、人が集まる要因になると思っています。家島の『志みず』もそうでした。立地条件よりも「会いに行きたい」と思わせる「人」。これからのbeingな旅を演出する上で強烈に感じているものです。
で、ですね。最初ジャンさんとは5年ぶりなのにそう感じさせない距離感で。ひとえにSNSの影響は非常に大きいと感じさせてくれます。忘年会で数年に一度会うか会わないかの同級生も、「お前の福井を盛り上げるSNSを見て誇りに思うよ」と言ってくれまして、発信し続ける大事さを噛み締めています。
ジャンさんとは久しぶりだから、二人で夜中まで話し込んでました。まちづくりのこと、自分の将来のこと、尽きませんでした。こうした話ができる人は自分の住んでいる街にもたくさんいますが、遠く離れた場所で、同じような思いで生きている人たちとの会話、交流はかけがえのない時間だと思います。本当に来て良かったな、と、心から思ってました。
ということをここで話せるのも、偶然にも部屋が空いていたから、に他なりません。実はですね、泊まる日にちを完全に間違えていたんですよ…。『霧の郷たかはら』は、本来なら1月1日、白浜の宿『Sampark』が12月30日、31日だったんです。両宿にもその日程で伝えていたのに、嫁ともども完全に間違えていて、30日に『たかはら』、31日、1日に『Sampark』と。何がどうなってそうなったのか、まったくわからない状態…。『たかはら』にチェックインした直後、『Sampark』から電話というタイミング…。この記憶違いは一体なんなんだ?? と思っていたのですが…。
平謝りに謝って、事なきを得たのですが、このタイミングで泊まらなければ出会えなかった人たちも多くいました。ご実家が鯖江市の方、省庁から北海道に出向されている方、ニューヨーク在住の中国人親子、和歌山でいろんな活動をしている団体の方々。正直、この日でなければ会えなかった方々。そして、この方々とお話をしなければ行くことのなかった場所。もはやこの旅は、この場所に行くためにセッティングされていたのではないか、と思うくらい、いろんな偶然が重なった出来事でした。
呼ばれないと行けない場所
その場所とは「玉置神社」。熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)の奥の院でもあるこちらは、地元の人たちはもちろんのこと、県外、国外にもこう言われている場所です。
「呼ばれないと辿り着けない場所」
この街に来て、いろんな方に言われました。「呼ばれたんやねえ」と。地図に載ってないわけでもなく、道から看板も出ているのですが、聞いたのが、着いたら雨や雪で行けなかった、とか、途中で体調が悪くなって行けなかったとか、とにかく「呼ばれないと辿り着けない」わけです。
確かに熊野三山も行ったし、なんなら毎年白浜に行くと熊野あたりをうろうろしてたんですが、玉置神社の名前は聞かなかったし、紹介もされなかったんです。あぁ、そうか。今回間違えたのは見えざる力が「玉置神社行きなさい」って示したんだな、と思いました。間違えなかったらこの話を聞くこともなかったし、たとえ間違ってなかったとしても、やがて来る大惨事で行くことはなかっただろうし。“おぼしめし”という言葉がしっくり来た出来事でした。
そして2023年最後の日、玉置神社に向かうんですが、言うなれば『たかはら』から山を降りてまた山に上がるということで、ロング&ワインディングロードが続くわけです。和歌山県は地図で見ると国道さえもワインディングロード。まず自然ありきで、道はそれに沿って作るもの、的なイメージです。そこには自然、特に山に対する畏敬の念を感じずにはいられません。道沿いには人工的なものも作らず、集落以外の場所は何も作らない感じで、やはり熊野信仰の篤さを物語っていると思いました。
で、ワインディングロードの国道から、さらに狭いワインディングロードを30分走るわけです。その時点で運転していても酔いそうなくらいで、またまた「こっちで合ってる?」なくらいで不安になります。だって誰ともすれ違わないし、前後で走っている車もないし。きっと誰もいかないんだと思って着いたら! 15台くらい車いるやん…。 みんなどうやって来たん?? いつ来たん?? ってな感じでちょっとビックリしました。
さて、“呼ばれた”感もあって、沸いている心を抑え、本殿までの道のりを歩いていきます。ここまで車では来れたけど、よくよく考えたらこんな山の中によく作ったもんだと感心しきりです。流石熊野信仰。きっとこの場所に何かしらのパワーを感じたんだと思います。本殿からさらに登って「玉石社」という、玉置神社エリアの中でも最大のパワースポットと呼ばれるところにも向かいました。言い伝えによるとここに財宝を隠したとかなんとか。三本の樹木の下に玉石が敷かれている霊験あらたかな空気が流れていました。あぁ、呼ばれたんだな、と素直に感じたものです。
そういえば、と思い出したんですが、熊野古道で行ってみたい場所があったので検索してみたら! めっちゃ近いとこにあったので、すぐに向かいました。「果無集落」というところで、読み方は「はてなし」。まさに、名は体を表すというか、そんな素敵な場所です。古道って大体山の中なので周りは山にか困れているんですが、この集落だけは空が開けている、果て無き空の下の古道です。桜のシーズンがキレイなんですが、是非機会があれば行ってみてください。基本、何もないですけど、この空間が素敵なんです。
人の営みを考えさせる峠
次なる目的地は山を一つも二つも三つも四つも越えた先にある「龍神温泉」。ほぼ真西に位置してるんだけど、ナビはぐるーっと南下して迂回しろ、って出る。おいおいすぐ近くに国道あるやないかい、ってgoogle先生にも聞くと同じ答え。こりゃ国道に何かあるんだと思ったら、その通り、冬季閉鎖されてたんですよ。でも待って、ホントに真西に向かってく県道あるやないの。このほうが距離近いやろ、ってな感じで選んだんですが…。
いやぁ、ホントに峠道やった…。確かに超ワインディングロードなんだけど、ここまで峠道やとは…。かといって引き返すわけにもいかず、約2時間ぐねぐね走っていったわけです。きっとこれも古道の一つなんかな、とは思いましたが、ちょっと恐怖だったのが、集落がないのに道に「学童注意」の道路表示。なんで?? いやいや、そもそもここに集落あるの?? ってなくらいなんですよ。でも、人が住んでいるようですし、バスの停留所もあるんです。道の看板には「公衆電話まであと5km」とかの表示も。
つまり、5km間隔で集落が出て来るんです。なんでこんなとこに…、と思いましたが、きっとここにも生活というものがあって、何かしらの生業が成立しているわけです。古道じゃないかって思ったのも、ある集落に宿だった家があったこと。やはり昔の人はこの道を、川に沿ったこの峠を越えて交易していたんですよね。川下に向かう道もいくつかあったので、もしかしたら川辺に集落があるのかもしれませんが、木々に囲まれてそれも確認できませんでした。何しろこんな道を選んでしまったがために、白浜に辿り着けなくなるんでは、という危惧も生まれ…。
龍神温泉って、ホントに山の中にある温泉町なんですが、まあ人が来る来る。美人の湯として有名で、肌がツルツルになるそうです。温泉宿もありますが、圧倒的に日帰り湯に来る人が多いです。ここに来たら買いたいものがあったんですが、年末年始だけにね、マーケットもお休みで結局買えないまま。「龍神しいたけ」という、一度食べたことがあるんですが、超デカくて超分厚いんです。これだけでご馳走になるくらいの。一度調べてみてください。さらに地元の人に聞けば、旧・龍神村のマーケットにはもっと美味しいしいたけがあるそうで…。
そんでもって、やっと白浜に着くわけです。朝8時30分に『たかはら』を出て、白浜に着いたのが夕方5時。延々と運転してて、さすがに精も根も尽き果てた、という感じでした。時間の関係上お昼も抜いてたし、ごはんごはんと思ったけど、わかってたことですがどこも満席。隣の田辺市にある粋な小路街も年末年始はお休み、毎年行ってたお寿司屋さんも満席。で、選んだのが昨夏にオープンした鉄板焼屋さん。なかなか美味しいお店でした。特製の玉子スペシャルはホントに玉子スペシャルやった笑
で、今回泊まった白浜の宿『Sampark』は、オーガニックなB&Bで、白浜の中でも裏路地的なところに、お寺のすぐとなりにあります。自家製のグラノーラとか、身体が喜ぶような朝食が嬉しくて、最近人気急上昇中だとか。もう着いた途端平謝り(汗) 運良く次の日も空いていたので2泊する予定でした。
隣のお寺に参拝に来る人たちに向けてたこ焼きを、と思っていたそうなんですが、めっちゃ強風…。歩くのも必死なくらい…。予定していたママのお店にも行くことができず、たこ焼きの代わりに作ったりんご飴のお手伝いをしてました。生まれて初めてなんじゃないかな、りんご飴食べるの。こんな感じで作るんやねぇ。初めての経験でした。そして除夜の鐘が鳴り始めた頃、2023年最後の眠りに就きます。お寺の鐘ってこんなに近くで鳴っても気持ちが落ち着いて寝れるんですよね。
運命の2024年1月1日
そして2024年、運命の日が始まりました。昨日までの強風も心配なく、お目当てのアドベンチャーワールドは元旦なのに一杯! 動物たちは元気でした。最初、入らないでおこうかとも思ってたんですが、自分なりのアニマルセラピーのようなものを期待してふれあいコーナーに向かいました。ずっと、2023年は結構、いや、2024年もなんですが、パンクしかけていました。ちょっと心をリセットしたいと、どこかで思っているふしもありました。だからお馬さんに触れたとき、なんだか心がちょっと和らいだというか、そんな感覚でした。アニマルセラピーっちゅうのはホントにあるんですねぇ。
で、16時がやってきます。テレビから突然けたたましい音が鳴り、放送が全部能登半島地震ニュースに。福井にいる友だちのLINEグループは逐一情報が流れてきて、もう不安しかありませんでした。これ以上ここにいても楽しめません。宿の方に言って帰らせてもらい、その足ですぐに福井に戻りました。急いで帰っても5時間。旅に出る度に感じる福井への不安が、今回は的中してしまった…。
静まり返った福井。本当に大丈夫なのか、まずはいの一番に新栄商店街に。恐る恐る見てみたら…。奇跡のように何事もなく…。震度5強だっただけに、本当に焦りました。家に帰ってもほぼ無傷。でも能登半島の情報は道路が寸断されているから入ってもこないままで。徐々に明らかになっていきましたが、本当に大変です。何もできないので義捐金を送ること、経済活動を止めないこと、を心がけています。そしたら空港で爆発、九州で火災、何だか不安なスタートのような感じです。
でも、こうも思います。いつだって人はそんな天災や人災があっても乗り越えて来ました。いつ福井が大きな天災に見舞われるかもしれません。そのときにさえも心を乱さず生きる、そう考えるようにしました。目の前で起きることは偶然ではなく必然だと、玉置神社が教えてくれました。おぼしめしと感じるかもしれませんが、それもまた必然なのだと。つまり自分にはまだやり残したことがある、次につなげる役割があるのだろう、そう考えています。その行動のスタートが2024年なのだろうと、感じています。
吉田 正義
長文拝読いたしました。F・BOOKでやっと帰ってきたとの記述はこの旅行だったのですね。最後の5行は私も同じように考えております。宮田さんの文は長文ですがどこかに私の胸に残る文面があって考えさせられています。先日は 秋吉有難うございました。今回もスマホで書かれた文ですね。((笑)
宮田耕輔
ありがとうございます。またスマホで書きました(#^.^#)