計画より半世紀という悲願、県内では「100年に一度の機会」という沸騰。北陸新幹線福井・敦賀延伸は、開業して3カ月が経ち、福井駅周辺(以下、エキマエ)は、想定とは違う形で街の姿、人の流れを大きく変えていったともいえます。
隣の芝に夢を見た
どうしても隣の芝は青く見えるもの。2015年に先んじて開業した富山・金沢の動きが、福井の行く末であると信じてやみませんでした。8年が経とうとする中、今も存在感を増し続ける金沢。街を訪れる諸外国の旅行者に、自分たちは対応できるのだろうかと、インバウンド需要に期待と不安が織り混じる心境もありました。新幹線開業とはこれほどの経済効果を生むものだ、と勇んだ県民は数知れず。
新幹線開業という“名目”があったおかげ、というべきでしょうか、これまで動くことのなかったエキマエでの土地の売買、物件の売買案件が湧き出たのは言うまでもありません。売る人は高く売れるのでは、買う人は高く貸せるのでは、借りる人は大きな商売ができるのでは。誰だって夢を見ます。隣の芝は青いのだから。
それと同じタイミングでスクラップアンドビルドが一斉に始まりました。でも、厳密に言うとスクラップアンドビルドの構想が、でした。みなさんが描いた開業までのスケジュールは、関係者一同が足並み揃えて賛同し、カネ・人・資材・機材が一つたりとも欠けることなく揃った場合にのみ、2024年3月16日に間に合ったのです。
全エリア、すべてがそんなスケジュールでした。というよりも、むしろそうせざるを得ない空気だったかもしれません。自分たちの商売を変えるつもりはない。しかし街が、行政が、県民が、新幹線開業という熱にほだされて、青い芝の夢を追いかけました。それに追従するしかなかったと思います。スクラップアンドビルドの一択しか答えが用意されていなかったのです。
結果的に開業に間に合ったのは福井駅東口の『ふくい屋台村』(2月14日)、福井駅東口の『ふくい観光交流センター』(3月2日)、福井駅直結のお土産とグルメが揃う『くるふ福井』、駅を降りて目の前のエリア”A街区”と呼ばれる再開発エリアにフードコート『MINIE』、音楽と食を楽しむ空間『ULO』、そして宿泊施設『コートヤード・バイ・マリオット福井』(以上3月16日)でした。
狂騒曲のゴール地点
まさに“新幹線狂騒曲”とでも言いましょうか。エキマエにいると、徐々に熱が高まっていくのがわかりました。特に1年前などは一番熱が高かったと記憶しています。中央のメディアがこの小さな街を取り上げることなど皆無に等しかったから、露出度が増えていくのも肌で感じていました。とにかく開業に間に合わせよう、開業を盛り上げよう、そんな機運がちょうど1年前あたりから出てきたのです。
こう書けば、賢明な読者ならお気付きでしょうが、2024年3月16日の開業日をゴール設定してしまっている空気ができつつあったのです。当日、人の波にもまれたい。当日、誰でもいいから有名人を生で見たい、当日、テレビ中継がたくさん来るから映ってみよう、当日、何か新しいから行ってみよう。当日、何か新しいから行ってみよう。当日、何か新しいから行ってみよう、でした。
狂騒曲の“フィナーレ”は、1時間経っても入ることができない新しい施設への大行列と、福井のお土産が目白押しの新しい駅舎で、開業イベントに殺到するスマホのカメラでした。あの日、あのとき、きっと多くの人はテレビやSNSで見たことでしょう、あふれかえる福井の街を。きっと多くの人はこう思ったでしょう、さすが新幹線開業初日、多くの観光客が来ている、と。
通が好む街からの転換期
こう書けば、やはり賢明な読者ならお気付きでしょうが、この日、このときに大行列を成していた人の波、スマホを傾ける人の波、福井県民でした。
こういう意味では実は”成功”なのだと思います。一般財団法人自動車検査登録情報協会が毎年発表する自家用車の世帯普及台数は、当協会が現在発表している平成17年から福井県は連続して1位となっています。ドアtoドアでの移動が当たり前に近い社会です。それが新幹線開業、エキマエ再開発、メディア露出による結果、エキマエに足を運ぶ人が増えたのです。何年も足を運んでいなかった人が、再開発による新しいもの見たさに訪れるようになったのです。4月11日に福井県が発表した記録によれば、新幹線を除く県内公共交通機関の数字は、ハピラインふくい(3月16日開業)が開業からの16日間で37万人利用、福井鉄道は前年比31%増の3.4万人、えちぜん鉄道は前年比70%増の8.3万人、路線バスともなれば京福バスが平日で87%増、福鉄バスでは46%増となっています。これらの交通機関はすべて福井駅を発着としているので、その人数がエキマエに訪れている、ということなのです。
その流れに加え、県外から訪れる人の波が増えました。前述の発表資料によれば関東圏からの7.1万人を含め、38.2万人が訪れているそうです。現時点ではフードコート『MINIE』には県外客数は3割とのニュースもあり、となれば新幹線開業で県内の多くの人がエキマエに集中していることになります。
この3割の県外客数を少ないと見るか多いと見るかは人それぞれだと思います。自分がこれまで取材を通じて感じてきた福井とは、観光よりも”ものづくり”に特化した街である、ということです。1500年以上の歴史がある越前和紙、越前漆器を始め、県単独での伝統工芸が7つ存在し、基幹産業として繊維産業、めがね産業が150年近い歴史を持っています。しかしそれを売る、つまり発信するということにあまり長けていなかったのです。
福井県が内外から評価される言葉に「アピール下手」というのがあります。歴史はある、海の幸、山の幸も旨い、何より人が素朴でいい。ただ、知られていませんでした。だってアピールしていないのだから。そもそもアピールの仕方を知らなかったのだから。それでも知っている人は知っている、”通が好む街”だったのです。事実、著名な人たちは人知れず訪れていました。知られていないから、過ごしやすかったのでしょう。
しかし、新幹線はとうとうこの街を伝えることになったのです。とうとう知られる時が来たのです。3割の県外客は、その始まりに過ぎません。前述の再開発計画はまだまだ続きます。建設中のエリアもあれば、解体がこれから始まるエリアもあります。そもそも開業して3ヶ月しか経過していませんから、ここで数字を語るのはまるでゴール設定を3月16日にしているようで、早計で野暮なこと。新幹線はツールに過ぎない。街が変わるきっかけに過ぎないのです。
次世代観光のトップランナー
これからの観光において必要とされるのは、観る(seeing)の時代を過ぎ、体験する(doing)を越え、その場所にいる、という感覚(being)、人に出会う(meeting)であるとされています。観光のメインストリームである食、景観、歴史などは、違いはあれど大きな差があるわけでは、実はありません。差を感じさせるもの、それは”人”に他ならないのです。
先述の通り、福井県は観光に特化していませんでした。周回遅れと言っても過言ではありませんでした。しかし、それは従来の観光においての話。観光における、旅における価値観は変わりつつあります。観光客慣れしていない福井県民は、ある意味”すれていない”が故に、観光客に対しての接し方が温かいと感じます。それが居心地の良さにつながり、旅の思い出に変わるのです。観光地や食が取り立たされていますが、こうした”すれてなさ”が今、福井県の最大の魅力になりつつあると思っています。
つまり、従来の観光ビジネスに追いつく必要がない、ということ。既に次世代観光におけるトップランナーとなっているのだから。観光ビジネス慣れしていない福井県で、もし開業と同時に爆発的に来られても、慣れていない分オーバーツーリズムになり、福井の最大の魅力を発揮できないまま終わってしまったでしょう。徐々に、というのがこの街には合っていると感じています。
ハブとなり、思い出の地となる
まだまだ福井は知られていません。観光客は有名なところから先に向かうもの。開業後の主要観光地は総じて増加に転じています。福井県は今後も観光の発信に力を入れていくでしょう。そのときエキマエは、それらの観光地を結ぶハブとして存在していき、かつ、もっと違う旅をしたい人のアンテナに引っかかる場所になっていく、という2つの顔を持っていくと思っています。
前者は既に再開発が進んでいくのでその顔を持っています。後者がここにしかない、まさに福井ならではの顔でもあると思います。昭和の雰囲気が感じられる商店街「新栄(しんさかえ)商店街」です。戦後の闇市からスタートし、県内最大のお買い物スポットであったところが、郊外型のSC乱立により空洞化。名前さえも忘れ去られたこの場所は、ここ10年で店舗数純増30という数字を叩き出し、地主家主も再開発からリノベーションに全振りした、奇跡のような商店街なのです。
ここは個性的な店が多く、それ以上に人の顔が見える商店街です。彼らのほとんどが、この商店街の空気感を気に入って入店しています。空気とはまさに昔ながらの福井。福井市は戦災・震災と立て続けで被災し、街の顔のスタートはある意味戦後からとなっているから。その空気が今も残っているのが「新栄商店街」。旅とは人に会いに行くもの。地域の人々の思いが形になっている街に、人は惹かれていくもの。少しずつ足りない部分を直していけばいいんです。使えるものはみんな使えばいいんです。いわゆるスクラップアンドビルドの真逆を突き進む商店街なのです。
どんな街をつくりたいか
確かにこれだけSDGs、サーキュラーエコノミーと叫ばれている中で、スクラップアンドビルドは今や時代錯誤的な捉え方をされつつあるのではないでしょうか。誰もが東京を目指し、誰もが東京になりたいと、全国で銀座通りができたのはもう還暦も過ぎた人たちの遠い思い出。その遠い思い出を再現したくて再開発は全国に広がりました。結果、“どこかで見たことのある街”が全国に出来上がってしまったのではないでしょうか。
かといって再開発されたビルを「いらない」と叫ぶのは愚の骨頂ですし、できたものは活用しようじゃないか、と捉えることも大事です。生々流転、人も街並みも変わるもの。こう書いていても再開発は反対ではありません。無為無策で進めるな、ということです。文化を作る、文化を育てる、50年後の街の姿を考えて今できることをする、次世代を育てる施策を考えること。街をつくるということはそういうことなのではないでしょうか。
街は人の思いが形になったもの。それを育てていくもの。それが街の文化になるのです。福井ではエキマエの商店主たちが郊外SCの理事を務めるなど、“福井モデル”と呼ばれる一風変わった風土があります。エキマエと郊外をつなげていくことはできないことではありません。ともに文化を育む場所として両立できれば相乗効果は生まれるはず。それぞれに文化を作る気概、というものが存在するならば。