休みって、なんですか?
ちょっと、香川県に行ってきました。仕事で。納品ですね。会社を辞めていろいろ動いているのをFacebookとかでアップすると、「なんか楽しそうですね」と言われることが多いのですが、ええ、楽しいです(笑)。でも、仕事がスコンと空いて数時間家にいるときがあると、普通に不安になります。ずっと仕事しているか、動いているか、何かしていないと気が済まない“マグロ人間”なので。家にいるより外に出ている方がいいという性格で。
何かしら動いているので、前の仕事のときから「休みってあるんですか?」と言われることがあって、その際「休みって何ですか? 休みの定義って何ですか?」と、面倒くさい返答をしています(笑)。みなさんはこの質問にどう答えますか? それにちゃんと答えてくれた友人がいます。
「交感神経と副交感神経があって、休みとは副交感神経が優位にあるときです。宮田さんの副交感神経が優位になるときはどんなときですか?」と。一体副交感神経が優位になる、リラックスするときってどんなときか、なんですが、「んーーー、寝てるとき?」、「意識のあるときです」、「んーーー、人と話してるとき?」、「えっ??」、「話してるときってリラックスしてない?」、「稀有な存在ですね…」。
ということで、一人でいるよりも誰かと話をしてるときが自分にとっての「休み」のようです(ようわからんけど、ホントか???)
かんおんじとかんのんじ
人と違う“休み”を取るのに、香川県まで行くんですねー、車に乗って。片道5時間半。福井からは舞若道からの淡路島抜けてってルートです。せっかくなのでね、淡路島だけに玉ねぎ食べようと思ったけど、意外と時間がなくて、サービスエリアで玉ねぎラーメン食べたくらいで、結構香川県着いたのがギリギリでした。
香川県の中でも、今では一番端、隣は愛媛県という「観音寺市」に行きました。読み方間違えないでくださいね「かんおんじし」です。ゆめゆめ「かんのんじし」とは言わないように。お寺の名前が街の名前ということは、「観音寺」はあるのかと調べたら……! ありました。当たり前やけど(笑)。でも読み方間違えないでくださいね「かんのんじ」です。ゆめゆめ「かんおんじ」とは言わないように。もう「米原」と「米原市」並やな。
この日に行った理由は、観音寺市のまちづくりのメンバーが開催している「今宵も始まりました」の配信日だったからです。ちょっと出演のつもりがラストまでかーい! でも楽しかったので、福井でもやろう、ってことになり、翌週「きちふくTV」をスタートさせました。次回配信日は10月24日です。
なんかわからんけど、「きちふくTV」はここに載せられなかったのでリンクだけ…
https://www.youtube.com/watch?v=3L6qq2ItOjo
観音寺市の皆さんとは「今宵サミット」を通じて仲良くなっていきました。以前このブログでも書いたことがあるのでこちらをどうぞ。
同じ思いで自分の住む街を良くしたい、楽しくしたいという人たちなので、同じ言葉を使って共有できるんですね。7月26日には「今宵サミットin福井」を6年ぶりに開催しました。日陰になっているけど、当時の気温は36度、やばかった…。
観音寺市って、昔はアーケードの商店街だったんです。でも地元の人たちの要望で、アーケードを取っ払って、車が通れるように道幅を広くしたそうです。便利になったかと思いきや、人口減少時代、人口超集中時代に突入して、地方から人が減っていき、交流する人口も減っていくと、逆に道の広さがよりさみしさを醸し出してしまいます。
かといってアーケードを復活、という話もできない。じゃあ寂れていく街を、指をくわえて見ているだけか、と言えばそうではなく、今いる人たちとの積極的な交流を重ねることが、結果的に街を楽しくしていくのです。そういった話を、炎天下の中に行なっていたんです。
振り返って我が身、新栄商店街でもそのような感じで「きちづくり福井」が活動していました。しかし時代も過ぎていくと、コロナもあったように交流が減っていきます。「今宵もはじまりました」という配信は、そうしたこれからの人と人をつなぐツールにもなっています。だからこちらでも配信しよう、って思いました。多大なるヒント、ありがとうございました!
そうした話し合いの2か月後だから、なおさら言葉も感覚も共有できるので、みなさんに会いに行きました。こういう時間はとても大事だと、車でぶっ飛ばして行っても大事なことだと思っています。自分にとっての旅の醍醐味は「人に会う」。この一点です。無茶苦茶でこういう感覚と行動が周りから言わせると「変な人」となるんです(笑)。でも楽しいひと時でした。観音寺市のみなさん、ありがとうございました!
香川を代表する食文化
今回、嫁も一緒に付いてきました。どこか自分を“ライバル視”しているようで(笑)、47都道府県を制覇しているので私も! ってな感じで今年はYEG活動で全国行きまくっています。で、香川県は行き損ねたそうで、「一緒に行く!」と。でも、自分が会社を辞めたことでこうした時間を作ることができるので、15年くらいずっとそういうことができていなかったので、これからはこうした時間を作っていこうと思っています。
で、「どこいきたいの?」という質問に、「こんぴらさん!」と即答。もしかして900段とか登るあれですか? 手前で終わるのではなく? 「上まで行くに決まってるが」。そうかそうか…、登るのか…。ならば腹ごしらえせねば。香川県に来たらこれしか食べないでおこうと決めていた「うどん」。“朝うどん”といって、早朝から開店しているお店に観音寺市の方に連れて行ってもらい、まず一食目。
もうね、ぜってー見つけられない、ここ。地元の人しか知らんのやろうけど、うどんマニアたちには知られている有名なお店のようです。聞くところによると、創業が明治時代? 超絶老舗! でもって、当たり前だけど、みんな食べるの早い! そして朝8時前後だってのにひっきりなしに来る! “朝うどん”は香川の人にとっては当たり前の食文化であり、毎日食べるのも当たり前の食文化のようで。「今宵サミット」に来られていた方は毎日食べているそうで、「しばらく食べられないからしっかり食べてきた」。1泊2日やで今回……。
で、2軒目。ある意味ノーインフォメーションで、街なかを走って気になったお店に入っていくことに行ってみました。結構年季の入ったセルフなお店で、ゴマかけまくり。油揚げとなんか写真の右上に映っているような、長細い練り物(揚げ物って書いてあったような…)の名物っぽいのをトッピングしました。うどんって、結構“はしご”とかできる感じで面白いですよね。きれいな、こじゃれたお店よりも、バラック的な、雑多な感じのお店の方が美味しそうに見えるのはなんででしょうね。
何故“朝そば”はないのか
ちなみに、香川県は“うどん県”と呼ばれるくらい、うどんを食べます。同じように福井県は“そばが美味しい県No.1”とかネット系で評価される県で、とにかく県外の人に会ったら「そば食べた?」と尋ねるくらいそばを誇りに思っています。が、“朝そば”って文化はないんよねぇ。チェーン店とか駅そばくらいしか、朝におそばを食べる場所がないんですよ。
実際に、福井にあるいろんなお店のいろんなおそばは確かにどれも美味しいです。でも一般の家庭のようなお店があって、ふらっと入ってさくっと食べてさっと帰るって食文化はないです。思い出したのは、大学時代に住んでいた山梨県。「吉田うどん」と言って、富士吉田市を中心に都留市あたりまで、香川県のような感じのうどん屋ってたくさんありました。さすがに“朝うどん”は見かけませんでしたが、普通の家なのに、お昼だけ、のれんもないのに地域の人がうどんを食べにその家に入っていく、という光景は見ました。
いろいろ調べてみると、香川県がうどんでブレイクしたのは一つ前の大阪万博のようで。以降セルフうどんのお店もできていって、って感じで、とどめが要潤の「うどん県」でしょう。福井でも蕎麦打ち名人大会とかやってますが、名人戦みたいに言っちゃうと、こだわりにこだわっちゃって、香川とか山梨のように普通の人が普通に家で出してます、ってのがやりづらくなってしまうのかも…。
こういったところが福井県の職人気質なところかもしれないですね。下手に出してもあかーん、みたいな? とことん納得するまで極めなあかーん、みたいな? やるならちゃんとお店構えなあかーん、みたいな?
もちろん香川のうどんがそうじゃない、ってのはないです。製麺所がそのままうどんを出していますし、どこ行ってもうどんは美味しかったですし、そもそもお昼に当たり前のようにうどん食べる、という文化はできていません。そうでなければ全国からいろんな人が“うどん行脚”なんてしないし。まぁ、そういう意味では福井は「おろしそば県」で、みんな極め過ぎちゃう、ということ、にしといてください! 今回、うどんしか食べていないのに、またうどんを食べたくなるし、ずっとうどんでいいと思うのは、さすが「うどん県」ならではの魔力だと。今度は木曜日を外してうどん行きます!(木曜日がお休みのお店が多かった…)
いざ、金刀比羅
きっと、一人で来ていたら来ることはなかったと思います。もし行ったとしても、一人だったら途中までしか行かなかったと思います。何故か“900段”というイメージがあったので、上まではたどり着けなかったと思います。でも、嫁が行きたいというのなら、腹くくるしかないでしょう。金刀比羅宮、通称「こんぴらさん」。大物主神(=大国主神)と、実在した人物・第75代天皇である崇徳天皇を祀っています。“海の神様”ということで、香川県も含め、瀬戸内海周辺や東京、北海道まで海に関する企業のお布施の石碑がたくさんありました。福井の企業もあったので、探してみてください。
もう必死(汗)。しゃべりながら登る、なんてもんじゃない。途中途中で社があるので、休憩しながら行けるんですが、それでも急な階段。これ、この歳を過ぎてからだったら、何も運動していなかったら、挫折するわー。逆に、毎日本宮までお参りに行ったら、相当体鍛えられるんちゃいますかね。そういう意味ではいい場所かもしれないです。
900段とずっと思っていたんですけど、本宮までは785段でした。そしてさらに奥の院までは1368段と、これまでと同じくらいを登らないといけません。さすがにその数字を見た時に心が折れました…。登ってみて何が驚くかって、山全体が社、ってこと。この階段も社も、昔の人たちが一つずつ作っていったってこと。そう考えると、とんでもない事業だったんよな、ってことがわかります。
宗教と信仰を考える
お寺がこんな山の中にあるというのは何故だろうと考えると、その多くは「修行をする場所」なのでしょう。ここも修験信仰があったようですしね。福井にも永平寺がありますが、取材して分かったのは、永平寺に関してですが、釈迦がたどり着いた概念「縁起」を最も体現しているのが「自然」であること。だからこそ人間も自然の中に身を置いて修行するのだ、と。
金刀比羅宮はそもそもは大物主神がお宮を作って住んでいた(行宮(あんぐう))ところからスタートするので、大物主神(大国主神)は神話の世界ではこの国を作った人物ですし、仏教伝来よりもはるか昔の人物です。創建自体も仏教伝来の6世紀(522年or538年)以前かと思っていましたが、そもそも大物主神が登場する『日本書紀』が編纂されたのが720年なので、既に仏教も日本に定着し始めているところ。
金毘羅というのもサンスクリット語のワニが神格化した「クンビーラ」から来ていますし、それも海の神様と呼ばれる所以です。この地での修験信仰と相まって「金毘羅大権現」に変わりますし、この仏さまが祀られたのが1573年とかなり後になってから。927年に編纂された日本の神社をまとめた「延喜式神名帳」にも雲気神社が金刀比羅宮という記述もあったりします。「こんぴらさん」がある山は象頭山(ぞうずさん)といって、インドにある象頭山に似ているからと名付けられています。明治時代になって「神仏分離令」が出て大物主を祀るところは金比羅になり、金毘羅大権現を祀るところは金毘羅のままになったりしています。
つまり、ぶっちゃけた話、この由緒を辿っていっても、どうにでも解釈できてしまうんです。八百万の神がいた、今でいう「神道」と、大陸の最新文化でもあった「仏教」を巡っての内乱に近い紛糾から、今の日本の信仰であったり、宗教であったりの文化ができていますから。
それよりも全国の寺社は宗教云々を語り合うよりも「日本人の心のよりどころ」である、と考えています。そのよりどころを金銭的に支える人がいて、よりどころを盛り上げようと、人に来てもらおうと支える人がいて、自分たちのように何百段も登って訪れる人が、その思い出に何かを購入して、よりどころは成立し続けるのだと思います。
本宮で手ぬぐいをお土産にと購入したのですが、その時の巫女さんの言葉が、普通に商品を購入したときに発する「〇〇円いただきます」ではなかったのが印象深かったです。その言葉を聞きに、是非785段登り切ってください(笑)。
この旅の一番の驚き
いや、マジビックリ! 金刀比羅宮には神馬がけいようされているんですが、そのうちの1頭が!なんと!父マヤノトップガン!! 自分が競馬にハマるきっかけを作ったサラブレッドで、菊花賞、有馬記念、宝塚記念、天皇賞・春を勝ったんです。種牡馬としては後継を残せなかったので、それはそれはとても残念なんですが、でも、血統表のどこかにあってくれれば、とは願っています。
で、競馬ファンの間でやっているゲームがあります。ペーパーオーナーゲーム、通称POG(ポグ、ピーオージー)なんですが、確かこの仔、選択していた気がします。中央競馬(JRA)で走らなかったのですが、お母さんの名前とこの仔の名前で、確かに選択してた、と思います。こんなところで会うなんてマジビックリ! いやー感動しました!
まるでアニメのよう
やっとタイトルの本題です(笑)。長すぎやろうが…。昨年も観音寺市にお伺いしたときにずっと感じていたことなんですが、香川県の山がポツン、ポツンと点在しているんです。それもきれいな形で。なんでなんだろうと、観音寺市のみなさんに聞いてみたら、こんな“昔ばなし”がありました。
香川県は農業をするにも水が少ないから、たくさんため池を作らなくてはならなかった。いろんな場所でため池を掘るのに掻き出した土を一カ所にまとめていったら山になった
面白いおはなしです(笑)。なわけあるかい! ではなく、確かにそうだよな、と思わせるのも、ため池が多いからならでは。高い山がなく、大きな河川もできていないので、農業をするにはどうしても水をためないといけなかったそうです。日本最大のため池「満濃池」も、まんのう町にあります。あ、まんのう町って「満濃池」から来ていたのかぁ。ここには空海の伝説も残っていますよ。
ということで、何故こんな形なのかというと、1400万年前まで遡らなければなりません。地質調査でその時代に火山活動が活発化していたそうで、そのマグマが出たところ、のようです。そこから地層的にもろい部分ともろくない部分があるので、だんだん上部のもろい部分が削れていって、今の形になったそうです。その火山活動のときに瀬戸内海にできた島もあるとかないとか。
今回の目的地は観音寺市でしたが、その途中にもいろんな場所があって、いろんな発見があって、いろんな知識を得ることができます。旅って本来こういうものなんだよな、といつも感じています。その後に高松市に寄り、徳島市にも寄って帰りましたが、そのときにも福井市にはない“大きさ”を感じました。高松市は約42万人、徳島市は約26万人。徳島市は結構福井市と同じくらいの人口ですが、街の作りが、大きな川を挟むとより大きく感じられます。もうね、九頭竜川の比じゃないくらい。惜しむらくは“徳島ラーメン”で検索してお店に行ったら徳島ラーメンがない普通の中華料理店だったことか…。でもめちゃめちゃ安くてビックリでした。
そういう意味では福井市って“コンパクトシティ”だな、って思います。人口に比例して理想的な大きさなんじゃないかと。目が届かないくらい大き過ぎず、でもそこまで小さくもないというか。ま、エキマエなんぞはすべて“かつての福井城の中”なんですけどね。