八日市のホテル
「ここ泊まりたいから一緒に来て」。
相変わらず無茶振りの嫁が選んだのは八日市。何のことはない、自分が翌日この地で商工会議所青年部の用事があるからです(笑)。でも、自分の中に引っかかりがあって、「行きたい」と思うような場所でした。
八日市、と聞けば八日市市とイメージがあったのですが、平成の大合併でなくなっていたんですね。東近江市に変わって今は町名として残っています。かつての歓楽街だったそうで、その風情が今も道に残っています。そういうのも好きなんですよ、路地のような昔ながらの街が。めちゃめちゃ路地裏があって1泊2日ではもったいない感じです。
ほんまちホテル
で、今回訪れたのは「ほんまちホテル」。「ほんまち商店街」というアーケードの商店街にできたゲストハウスなのですが、いやー、刺さりました。とても良かったです! もう場所からして素敵です。街の中に唐突にアーケードが出てくる感じで。やっぱり街の整備をする際に、モータリゼーションで歩道だけだったアーケードって車道に変えたり、街自体を区画整理してしまうじゃないですか。この商店街はもちろん車が入ることができますが、アーケードも残しているし、道がストレートじゃなく、ちゃんと昔のカーブがかった街なんです。それだけで昔を感じるんですよ。
でまた、この宿を始めた栗田さん夫妻がまた刺さる(笑)。同じ“匂い”を感じるわけです(笑)。元々市役所職員で、退職して「ほんまちホテル」を始めたそうなんですが、市役所職員のときからこの場所の可能性を感じていたそうです。ホテルを作ろうと思った一番のきっかけは街に「お風呂」があったこと。
意外なことかもしれませんが、お風呂って、衣食住の「住」に入る部分で、大体の日本人は毎日お風呂に入ると思うんです。だから公衆浴場が街にあるというのは「住む」という意味では大切なんです。自分も新栄商店街に外国人専用のゲストハウスとか作ると、衣食住が揃って長期滞在のハブとして福井を選んでもらうと面白い、とも思いましたが、「お風呂」がなくて断念した記憶があります。
「食」は街の人の胃袋を満足させるもので、大体の街にあります。なので「住」があれば街全体が住処になる、ということなんです。今、商店街全体を一つの宿という感じで展開する取り組みが盛り上がり始めています。この「ほんまち商店街」も近しい感じです。
自分でやる
でも、問題は「住」のうちの「泊」なんです。泊まる場所をどうするか、というところに高いハードルがある感じがします。でも「ほんまちホテル」の栗田さんはやってのけた。市役所職員時代からまちづくりに関わっていて、「ほんまち商店街」の可能性も感じていました。その前に東近江市五個荘のホテル「NIPPONIA」開業にも携わっていて、オープンするとそのまま職員を辞して参画したそうです。で、満を持して「ほんまちホテル」を今年開業しました。
市役所職員でそう考えたとき、“誰かにやってもらう”というやり方も頭の中にあったと思いますが、自分でやる、と決めていました。以前似たような案件で職員が事業者に甘い言葉をささやき続け、結果オープンしたはいいけれど倒産、という経験があったそうです。甘い言葉とはイコール儲かると同義で、それなら自分でやればいいのに職員はしない。それはある意味では自分は責任を取らないということ。それが嫌だったそうです。
やると決めたら自分でやる。猪突猛進型ですね。自分と同じです(笑)。栗田さんの奥さんにも「二人そっくりやわー」と(笑)。やらなければ見えないものもあるし、やることでいろんな出会いもあります。実際に国内外の人が泊まりに来て、いろんな「縁」を感じているそうです。それはそれは楽しい毎日で、かつて威圧的だった職員時代とはまるっきり違うのだとか(笑)。
そして宿にしたこの場所がまたなんとも…。かつての高級紳士服店だったそうで、当時のパネルや紙袋、書籍なども残っていて、それがいい味出しているんですよ。宿にかかっているアランドロンのパネルって、そのまま残っているらしく、今普通に飾っていてもおしゃれ過ぎる。お宝もんが散らばっていて、宿を彩っている演出の仕方が素敵過ぎる。見習わないといかんなーとしきりに感心していました。
デニムの聖地?
で、ちょっと気になったのが「八日市をデニムの聖地に」というキャッチフレーズ。ん? デニムと言ったら岡山県倉敷市のイメージがありますが、八日市? 実は「ほんまち商店街」において衣食住の「衣」の部分が強烈な個性を放っているんです。
宿の目の前にあるアメカジのお店『FORTY NINERS』は、デニム好きの全国の人たちにとどまらず、芸能人、スポーツ選手、著名人などなどこぞって訪れる、まさに“聖地”となっているんです。
デニムのビンテージものって最近高騰化が止まらないらしいんです。そうなると“ビンテージもの”というパチモンが出てきたり、ビンテージだけど純粋なビンテージじゃないものまで出てくるようになって。お父さんの代からアメカジのお店をやってきたから、自身もビンテージものを収集してきたから目利きが鋭くて、そういうのが市場に出てビンテージの価値が粗悪なものになってしまうのなら、自分で作ったろうということになるんです。当時のミシンを探し出し、自分が持っているビンテージものを泣きながら糸をほどいて仕組みを知り、自分でイチから作り上げていったそうです。
いわゆる時代時代によって変わる形、織り方、ボタンの位置を寸分違わず再現して、“本物のビンテージ”をお客さんと共に時を重ねていくことを目指しました。なので、こちらのデニムは一着を最初から最後までスタッフが一人で織り上げていくスタイル。その思いに賛同する人も増え、その再現性の見事さにデニム好きの芸能人が気付き、広がっていったそうです。今やデニム関連の店舗は3つになり、せっかくここまで来てくれたから食べる場所も提供しようと、飲食店『ふじや。』も展開してデニムメニューを作っています。
この思いに賛同したスタッフも集まり、縫製技術を全員が持ち、ミシンに関してもこの思いに賛同して、全国から集まっているそうです。そしてそのミシンを直したりするのが栗田さんの息子さんという、商店街で完結していく流れが出来上がっています。栗田さん夫妻も思いに賛同して、毎日デニムをはいてお店に立っています。このストーリーに感動して、自分も思わず買っちゃいました。聞けば自分が購入したデニムを縫ったのは小浜出身の子だそうで。つくづく運命を感じます。
プラスαの商店街
さらに、地域おこし協力隊の人たちがお店を作ったり、「メンソレータム」で有名な『近江兄弟社』の前身の会社を設立した伝道師兼建築家のヴォーリズ設計の建物がいろんなお店の集合体になったり。新しいお店だけでなく、昔ながらのお店もまた渋くて、調和が取れている感じなんですよ。そしてしっかり横のつながりもできていて、商店街振興組合もしっかり動いています。
今、『FORTY NINERS』の先代がほぼ毎日のように「ほんまちホテル」の喫茶店に来られ、栗田さんは商売の薫陶を受けているそうです。もはや語録として残した方がいい、なレベルの話の連続で、栗田さんにこの商店街の未来を託そうとしているのをひしひしと感じます。多分栗田さん自身もそう思っているのではないでしょうか。是非文字に起こしてください(#^.^#)。
こう書いてきましたが、商店街すべてがそうなっているわけではありません。もちろん昔ながらの商店街ですから、住居兼店舗がほとんど。つまり、シャッターのお店がまだまだあります。それでも家主地主さんは自分の街のアーケードの電気代はしっかり払うし、商店街振興組合は店子に全部任せていますし、昔からのお店との連携も大事にしています。これも大事だなーとも思いました。
いやほんと、参考になりました。学ぶことがとても多い1泊2日の旅でした。また訪れたくなる街でした。そして今回、確信も得ました。自分の行動に。松坂選手じゃないけど「自信が確信に変わった」というか(笑)。
最後に(きつい言葉使います)
全国にはいろんな商店街があります。かつての街道や、駅周辺など、その起こりはいろいろありますが、間違いないのは、そこに人が集っていたという歴史があること。全国に数多ある◯◯銀座と名付けられた商店街は、本場の銀座のようになっていく、という覚悟か期待か呼び水か、は様々ですが、たくさんたくさん生まれました。ただその多くは、そして商店街という存在は今や、風前の灯のように衰退を重ねていっています。
もちろん、その流れに抗うように盛り返す場所もあります。福井で言えばこの新栄商店街がそうです。闇市から始まり、繊維産業の発展と共にお店が並び、肩がぶつかるくらいの人の波があったそうです。でも、郊外化が進み、道路整備が始まると一気にしぼんでいきます。自分が嫁と共にボクサーパンツ専門店「ラーナニーニャ」を開いた12年前のときは、多分一番最低な時代だったと思います。当時のことをよく覚えていますが、開店したとき、いろんな方にこんなことを言われました。
「新栄商店街って、どこ?」
「駐車場ないとこに人が来るわけない」
「普通なら郊外のショッピングセンターだろ」
「バカじゃないの」
「上手くいくわけない」
いろんな声をもらいました。それでもこの場所に未来はあると思っていました。何故ならこの商店街が「福井の歴史そのもの」だから。時代はリノベーションに向かっていくことを感じていたから。そして新幹線がやってくるのもわかっていたから。でもその考えは早過ぎるくらいでした。だから歴史と時代の流れを伝えることを続けました。
今、12年経って、この街はどうなったかというと、出入りはいろいろありましたけど、純増30です。30店舗が新しくお店を開いているんです。今では既にお店を出している人に「どっか空き店舗ない?」と聞いて来るほどに。もうこの商店街に使える店舗はほぼありません(今は4つくらいいけるかなー)。商店街の中なのにちょっと外れたら「そこは外れてるから嫌」と言う人もいました。
なんでそうなったの? って思うでしょう? 答えは簡単です。この商店街にお店を出している人たちはみんな、
新栄商店街の空気が好き
なんです。街の空気感と自分の店の空気感が一緒なお店が来ているんです。この街の空気を、この街の歴史を、この街の文化を理解して、初めてみなさんに迎え入れてもらえているんです。
自分の街を知っていますか? 自分の街に誇りを持っていますか? 自分の街を好きでいられますか? あなたはこれに答えられますか?
これから自分は死ぬまで何度でもこのことを言い続けます。もちろん今は答えられなくてもいいんです。これからでいいんです。自分の街を知り、誇りを持ち、好きになっていってください。本当に自分の街を誇りに思える人が街を作っていくんです。これだけは不変の事象です。
儲かりそうだからと、お金だけが欲しい人は、この街では難しいです、というか無理です。郊外でもECでもやっていればいいです。新栄商店街って、そういう場所です。スモールビジネスだけど、人のつながり、人の温かさを実感できる場所としてみなさん選んでいるんです。
ビジネスはお金がすべてではないんです。お金は後からついてくるものです。栗田さんが宿を始めて、経験し、到達した「縁」こそが大事なんです。そういう人たちが集まるから、今、全国で広がっている新しい人たちが作る商店街は強いんです。
是非この話を「ほんまちホテル」の栗田さんと語ってください。延々と会話が続きますから(笑)。足りなければ新栄商店街までどうぞ(笑)。