やっぱり日本人
毎年、家族旅行を年に2度敢行してまして、夏は瀬戸内海の家島にアナゴのしゃぶしゃぶを食べに、冬は白浜&熊野でパンダとパワースポット巡りをしてます。で、これまでサラリーマンしてたので、休みである年末年始しか行けなかったんですが、あ、サラリーマン辞めたから別にいいんだ、ってことで、1週間ずらして人が少ない時期に行こうと。
さて今回、かなり無理のかかった初日でした。三重県の伊勢神宮外宮、内宮、奈良県の天河神社、和歌山県の玉置神社、そして泊まる場所の熊野古道まで、全行程535km、Googlemapで所要時間9時間37分という尋常じゃないローテーション。行けるとこ全部行こうとするって、つくづく日本人だなぁ、と思います。
でもって、行く場所場所で滞在するでしょ、それも全部イヤというほど歩くでしょ、17時には宿に着きたいと思ったら、逆算して朝2時出発ということになるわけで。となると、早く寝なきゃってなるでしょ。最低4時間30分は寝たいと、また逆算して21時30分には布団に入ろうと。
脳が寝かせてくれる
んな、寝れるわけない、って思うでしょ。でも寝れるんです。寝ちゃうんです。そうしなきゃいけない、ってなったら脳がそうさせるんですよ。って、最近聞いている音声メディア「VOOX」で脳科学の先生による睡眠の話を何度も聞いて、そうなんだと不思議と納得してしまいました。
これまで寝るのはキラいでした。時間がもったいないと思っていたんです。寝なくてもいい身体になれたら、ってどれだけ思ってたか。毎日20分睡眠、というか半身浴で気絶するように寝落ちしてすぐ起きて仕事に出かける生活を14日間続けた経験があるから、なおさらで。
でも最近は寝よう、と決めました。睡眠は大事だと、体調を整えるのに必要だと、考えを改めました。もちろん「VOOX」を聞いて。普段なら6時間は寝ようと。てか、そのくらいしか寝られない年齢になってるんですけどね。なので、ショートスリーパーは卒業です。
で、4時間30分ってのも、レム睡眠ノンレム睡眠の周期が90分っていうのを信じて(実は違うらしいですよ)、そのタイミングなら起きれるだろうという感覚で寝るんです。目覚ましもセットせずに。起きれるという絶対的な自信があるというか(笑)。
でも、結局起きたのはさらに早い24時30分。布団に入ったのが20時くらいだからまあこんなもんです。やっぱり4時間30分(笑)。で、1時間で準備して、夜中の1時30分、いざ伊勢神宮へ!
真夜中のスタート
最近のナビやGooglemapはとんでもないルートを指定してきます。ショートカットは当たり前、距離を短くするならどんな道でも指定してくるんですよ。それにいちいちツッコミを入れながら、ナビとGooglemapの両方を見て、次はどんなカーブかとか、どのくらい直線なのかとか、一人レーシング感覚で走り続けます。
でもって、伊勢神宮に着いたのはちょうど開く時間の5時。よしよし、想定より1時間早くなった。でも当たり前だけど真っ暗(笑)。それなのにたくさん人がいて、開門を待ってるんですよ。信仰心が厚いんでしょうね。その時間に来られた多くが、一人で参拝に来てるんです。深々と90度までお辞儀をして、一人ひとりしっかり手を合わせて参拝しているんです。
伊勢神宮って、何かご利益があるとかの神社じゃないんです。日本という国の祖神を祀っている場所なので、「合格しますように」とか「売上上がりますように」とか「結婚できますように」とかの個人的な欲望ではないというか。なので、お参りするときは感謝を述べるのが正しいというか。この国がしっかり存在しながら、平穏に過ごせることに感謝してお参りをする。今、本当に世界では平穏に過ごすことも難しい時代になっています。指導者のエゴが蔓延して、国民が疲弊している国のなんと多いことか。そう考えると、日本ってやっぱり平和なんです。その平和を保っているのが伊勢神宮と、そこにお参りをする人々の関係性なのかな、と思います。
赤福たる所以
でね、参道にお店がたくさん並んでいるんですが、朝6時では真っ暗過ぎて当たり前だけどどこもやってない…。一箇所を除いて。そう、『赤福』さんだけが、朝5時から営業してるんです。伊勢神宮は朝5時から参拝ができるから、赤福さんも朝5時からおもてなしをしてるんです。赤福が赤福たる所以ですね。おかげ横丁も赤福の店主が衰退しかけたお伊勢参りの参道の賑わいを復活させなければ、と発案したそうです。赤福が赤福たる所以ですね。
ちなみに「おかげ横丁」って場所あるじゃないですか。これって、かつて江戸時代に流行ったお伊勢参りが「おかげ参り」という、約60年周期の国民的イベントだったとこから名付けられたのだとか。最大で当時の国民の10人に1人が参拝してたみたいで。そういうのを聞くと、1970年に開催された大阪万博を思い出します。万博はさらに強烈で、当時の国民の10人に6人が行ったってくらいだから。今年の万博もそれくらいの盛り上がり、あるといいなぁ。
さて、外宮(げくう)、内宮(ないくう)両方参拝して感じたのは通る道。外宮は左側を通るのに、内宮は右側通行。なんで? という疑問には伊勢神宮はしっかりQ&Aサイトを作ってるんですねー。「古い書物などを読んでもその理由ははっきりと書かれていませんが、参道の外側を通って神前に進んだ参拝者の「慎みの心」の表れと考えられます。また、参拝前にお清めをする御手洗場が内宮は右側、外宮は左側であったことも理由と考えられます」だって。
じゃあついでに。お守りをたくさん持つと良くないなんて言われたことがあるけれど、「「お守りをたくさん持つと大切にしない」という戒めに、尾ひれが付いて「神さまがケンカする」という俗説が生まれたと思われます。複数のお守りを持つことはそれぞれの神さまからご加護いただく意味があり、神さまがケンカをすることは決してありませんのでご安心ください」だって。
道中が気になる
次なる場所は天河神社。朝7時に伊勢神宮を出発。到着まで約3時間。この調子ならば途中どこかで立ち寄ってもいいかな、と思ってしまうのが日本人の悲しさよ…。高速を走ってたら見慣れない文字に惹かれてしまいました。「多気ヴィソンスマート」。ん? 何? そんな横文字のインターってあるの? と思ったら、民間初のインター直結施設だったんです。「ヴィソン」といういろんな施設の集合体で、とてつもない広さと大きさ。まぁ、まだ8時台ではあったのでどこも開いてませんでしたが。
伊勢から奈良県東吉野村まではほぼまっすぐ西に、って、地図を大きく見ればそうなんですが、細かく見ればずーーーーーっとワインディングロード。川沿いに道ができて、広い土地には集落があり、峠が出てきて、また別の集落が出てきて、の繰り返し。たまにポツンと一軒だけが集落から外れた道沿いにあったりと、それぞれの集落の顔が見えたりします。
特に印象的だったのが、畑一面が太陽光発電パネルという集落がいくつもあったこと。産業としての農業がなかなか上手く行かない中で、手っ取り早い収入源としていろんな空き地や耕作放棄地をパネル化して売電しようという流れがありましたが、途中から価格が下がって収益化も思ったほど、という話を聞きます。
むしろその集落の非常用電源としての役割なら意味があるのかな、とは思います。紀伊山地は特に台風がよく通る場所で、ひどい場合は土砂崩れなどの災害も引き起こしかねません。さらに南海トラフ地震の危険性もあります。陸の孤島になったときに必要な電源として、という意味でパネルを立てているなら、それはそれで素晴らしいことかと。蓄電池を集落で持てれば、ですが。
走っていると、そこかしこに緊急避難所の看板を見かけました。走ってきた紀伊山地のワインディングロードは、ほとんどが渓谷に近い感じで、それほど開けた平野が少ないので、川と山の間の狭い場所に家が建っていました。土地が少ないから川にはみ出るように土台の鉄骨を追加して建てていたりも。土地がないということは、産業もままなりません。みなさんどんな生活をしているのだろうと思いながら走り続けます。
あなたの宗教は?
でもって、開けた土地に出たのが吉野山近辺。吉野山って、あの吉野山よね? 桜の有名なとこで、いろんな和歌にも、百人一首にも登場するとこよね? 何も知らずに目的地まで最短距離で走ってたから、ここなのか、と感嘆したわけです。これは行くしかない、まだ時間はある、と思ったのが苦行の始まりでした(笑)。
吉野山のふもとにある吉野神宮は後醍醐天皇を祀る場所で、明治22年に建てられた比較的新しい神社のようで。なんか、寺社の世界では明治22年というと新しいと感じてしまうのは、それくらい日本においての寺社がどこに行っても古い、ということは日本人の心の中に、生活の中に浸透している、ということなんです。
ちょっと寄り道します。昔、ニュージーランドに行ったときに散々質問されたのが「あなたの宗教は?」でした。日本人のみなさんはなんて答えますか? 仏教徒? 神道派? 多分答えられないと思います。答えられないくらい、仏教と神道が当たり前になっているのだから。
イスラムの方々が1日5回お祈りする姿を見て、熱心な教徒だと思うでしょう? でもイスラムの方から見れば、そこかしこにある神社やお寺に行ってお参りしている姿も、同じように熱心な教徒だと感じるはずです。初詣するのも、おみくじを引くのも、受験祈願で絵馬を書くのも、厄払い祈願に行くのも、お盆にお墓参り行くのも、日常の当たり前になっているんです。そのくらい、仏教と神道は生活の一部になっているんです。
なので、上記の質問に答えるとするならば、「日本には仏教と神道の2つの信仰があって、長い歴史でお互い絡み合いながら、生活の中に溶け込んでいるので、それらを宗教とも信仰とも考えず、信仰心にあふれている生活を日々送っている」と答えるかな。deep翻訳にぶち込むと、こんな英語になりました。「In Japan, there are two faiths, Buddhism and Shintoism, which have been intertwined with each other throughout the long history of the country, and are so integrated into our daily lives that we do not consider them as religions or beliefs, but live our daily lives filled with faith.」
苦行の始まり
吉野神宮を過ぎると、吉野山へのケーブルカーが走っているので、山の上に街が一つできている、観光的な場所になっていました。ごめんなさい、吉野・大峯、熊野古道、高野山の3県にまたがるエリアが「紀伊山地の霊場と参詣道」という世界遺産だとは知りませんでした(汗)。熊雄古道は世界遺産と知ってはいましたが、こんなに広範囲なのかと、つくづく勉強不足でごめんなさい(汗)。調べれば、吉野と桜は非常に深い関係にあるんですね。そして壬申の乱から義経、南北朝、秀吉と、日本の歴史と吉野の関係性といったら!
ただ、それよりも何よりも、ひじょーーーに気になった場所がありました。「脳天大神」。脳天? 何か頭に関するご利益があるのか?? 気になって気になって。ちょうど後醍醐天皇が南朝を開いた際の皇居跡の先にあるということで、勇んで進んでいきました。昨年から「ホルネル症候群」と診断されて、今も片側のまぶたが落ちる症状に悩まされているので、余計気になったんです。
矢印の方向を進んでいくと、いきなり下りる階段が。そうですかそうですか、中腹に建てられているんやね、と下りるけれど、一向に辿り着かない…。下りれども下りれども、その姿さえ見えない。もしや一番下まで下りるのか?? という想像通り、川沿いにそのお堂はありました。一体何段下りたんだ…。着けば道もつながっているから、車でも行けるんですが、それでは意味がない。かといって、かなり遠回りをするので、階段を上らずに帰れると思ったら大間違い。何時間もかかる道のりを歩かないといけません。つまり、帰りもこの階段を上っていく、ということ。
そうかそうか…、これが庶民の現世利益に必要な苦行というものか、と独り言ちし、このホルネル症候群が治りますようにと一段一段数えながら踏みしめて上っていきます。その段数450段。間違いなく翌日は筋肉痛だ(笑)。でも、きっと、これは“呼ばれた”のだと、また一人納得したわけです。
呼ばれる、とは?
この旅は、後に振り返るといわば神道と仏教の聖地巡礼のようなものでした。この国の人々が何を大切にして、何に迷い、何にすがり、何を残してきたのか、そんな日本人の心根を巡る旅でした。それはきっと、非科学的なことではありますが、何かに“呼ばれる”ことでその地に赴くのだと、考えるようになりました。最近は永平寺のお仕事で禅の世界観を知る機会に恵まれていますが、よく出てくる「因果応報」は、その延長線上にあるのではないかな、と考えるようになりました。
人は日々、何かを思い、考え、行動しています。その結果が次の行動になるので、因果応報となるのですが、それよりももっとプリミティブな、自分の中で「ピンッ!」と来たものに惹かれていく、そういった行動を起こす、そういうものを“呼ばれる”と表現するのかな、と感じます。直感とかの類でしょうか、それとももっと非科学的な、霊験あらたかなものでしょうか、それは是非この世界遺産の地に来てみて、ご自身で感じてみてください。
辿り着けた感謝を
こんだけ書いておいて、吉野山は本来の目的地ではなく、突然決めた寄り道の一つでした(笑)。本来の次なる目的地は、「大峯本宮天河大辨財天社」、通称・天河神社です。ここもまた“呼ばれないと来れない場所”のようで。この場所に来るまで、どれくらいワインディングロードを走ったか…。それくらい山の中にあるんですが、最近どえらい人気で三が日も相当人が来ていたようです。正月を外してホントよかった…。
どうも、吉野・高野・熊野(多分本宮ではなく熊野の山のことかと)を結ぶ三角形の中心地にあるようで、こちらも修験道と深く関わりがあって、さらに草創が飛鳥時代とか。弁財天なので芸能の神様のようで。なぬ? 芸とな! ならば「映画祭が無事盛大に開催できますように」とお祈りしなければ! ほんの数時間前は日々に感謝し、国家安寧を願っていたというのに…。人間とはかくも欲深いものかと、この旅は人間という存在の業を感じさせてくれます。
この世界遺産のエリアは、山岳信仰、そして仏教による修験道の世界観が色濃く残っていて、道を走っていても数多くの寺社が点在しています。全部回るなんて1カ月は必要な感じです。というか、車も道もない時代に、よくこんな場所まで来れたもんだというのが正直な感想です。非科学的な直感の世界だけれど、現代においてもやっぱり霊験あらたかな空気を感じてやみません。修験道の多くは、仏教の多くは、私たち大衆の代わりに世界平和を祈ってくれます。ここまで来たのだから、という思いよりも、ここまで連れて来てくれた、と感じるのがいいんだろうな、とこれもまた直感で思ったわけです。よーこんな無事に来れたわ、って純粋に思いました。
そして昨年、いや、もう一昨年か、本当に“呼ばれた場所”であった玉置神社に。もうこの時点で雨がひどく、こりゃあ“呼ばれて”ないぞ、とは思いながらも、無理くり行ってみました。雨もひどくなり、道もぬかるんできて、もうたどり着けない。宿に到着する時間も考えたら本宮までしか行けない。もう“呼ばれる”玉石社までは挫折しました。もしそこまでたどり着いてたらもう“呼ばれ過ぎ”(笑)。
旅の大きな目的
ようやく、宿への道になるのですが、玉置神社からも約1時間。全部ワインディングロード。雨も山を越えていくうちに上がってきて、あとはどれだけ速度を上げて進めるか、って。もうこの道は何度も通った道なので慣れたもんです。あっという間に着いて、やっと1日目の運転が終わりました。走行距離530㎞、走行時間9時間50分、歩数16000歩。初日からやり過ぎや…。
毎回宿泊するのは『霧の郷たかはら』さん。熊野古道沿いの集落にあり、外国人も多く訪れる、フラメンコギターが得意なジャンさん(日本人です)が運営する最高の宿。自分的この旅の目的は、ジャンさんとの会話に尽きます。お互いの“現在地”の確認をするために。一昨年は会社を辞めると決めたことを話し、それから1年、今の自分の現状確認的な話と、ジャンさんの現在地とをとにかく語り合いました。この日はお客さんもあとフランス人の心理学者の女性が一人だけ。十分に話す時間がありました。
もちろんそのフランスの方とも夜ごはんのときに話すのですが、仏教と神道の違いがわからないと話をしていました。そりゃそうだ、キリスト教やイスラム教、ユダヤ教など一神教からすると神道はわかりづらいし、神社にもお寺にも手を合わせる行為が理解しづらいでしょうし。こうした様々な信仰心を持ち、当たり前のようにお参りをする価値観こそ、多様性そのものなのではないでしょうか。だから日本は平和なのかもしれません。みなさん、ちゃんと日々に感謝してお参りしましょうね。
で、ですね。その日の夜に映画の話も出てきましたが、ジャンさんの高校時代の同級生が「田辺・弁慶映画祭」の副実行委員長をされているのを知り、「会いたいです!」と連絡をしてもらい、なんと会えることに! 人ってどこにいてもつながるものですねー。この日の最後の最後にいろんな縁をもらいました。本日夜中0時30分に起き、寝たのが23時30分。おい、この時点で7300文字に達してるやないか…。
やっと2日目(笑)
2日目。早速「田辺・弁慶映画祭」の方々(事務局の方2名も!)に会いました。「福井駅前短編映画祭」10周年のイベントに来ていただきたく、話をしていたのですが、映画祭の運営がまぁ参考になるなる。何をどうすればいいのか、今年の運営に際して真似させてもらいます! ていうか、「田辺・弁慶映画祭」って19回やっていますが、ずっと事務局は自治体の職員さん。つまり行政ががっつり関わっているんですねー。19回を重ねてこの映画祭も“若手監督の登竜門”とも呼ばれるようになっています。いろんな俳優さんとか監督さんも参加しているそうです。そして何よりも、おもてなしがかなり高く評価されています。
これですよ。かつて「ゆうばりファンタスティック映画祭」で感じた、おもてなしのハンパなさを自分たちの映画祭でも実践したいと、「田辺・弁慶映画祭」も行なっているようにおもてなししたいと、本気で思っています。この連続がやがて、「福井っておもてなしがハンパない」になると、「この街で映画を撮りたい」と思ってくれるようになると信じています。ほとんど運営部隊がいない中でやってきたのですが、今年以降はしっかりとやっていきたいと、そのためには実行委員会をしっかり作ろうと思います。手伝ってくれる人、声をかけてください!
このとき、いろんな話をしたのですが、一番鳥肌が立ったのが玉置神社の話です。副実行委員長さんが友人2人を連れて玉置神社に行ったときのこと。参道を歩いていると見知らぬ白髪のおじいさんが現れて、3人は「本堂はどの方向ですか?」と聞くと「こっちの方向だよ」と教えてくれて、すっと姿が消えたそうです。3人が目撃して話もしている。これを書いている今でさえも鳥肌が立っています。これぞまさに“呼ばれている”証拠! 本気で玉置神社は鬼パワースポットだと確信しました。
涙するトルコとの友情
1時間ほどお話をして、嫁をアドベンチャーワールドまで迎えに行き、さて本日は何をしようかと、できれば運転はあまりしたくないなぁと思っていたら「串本町に行きたい」。……、ここから65㎞。半分は高速道路だけど、半分はやっぱりワインディングロード。まぁせっかくだからいいかと、本州最南端の町へ。そう、なんでも「せっかくだから」はこの旅でいくつもあります。
で、どこに行ったかというと「トルコ記念館」です。あの田中光敏監督の『海難1890』の舞台でもある紀伊大島のはじっこ、トルコと日本の友好を強くしたあの事件「エルトゥールル号遭難事件」の現場すぐそこに建てられています。この事件は1890年9月16日夜に起きた、トルコ軍艦が嵐に遭って座礁し、587名が亡くなったという痛ましい事件です。一人の兵士が血まみれになりながら灯台に助けを求め、大島の人たちは不眠不休で自分の食べ物も衣服も全部彼らに与え、懸命の救助作業、遺体捜索活動を行ない、69名が助かったのです。
この大島の見返りを全く求めない行動に両国はいたく感動し、両国の友好な関係はその後も続きます。トルコはいつか恩返しがしたい、そう思ってから実に95年の月日が流れ、その機が訪れるのです。1985年、イラクのフセイン大統領が「48時間後にイラン上空の飛行機を無差別に攻撃する」との声明を出しました。各国は自国民を救出する救援機を出していましたが、日本は安全上から出さなかったのです。テヘラン空港に取り残された日本人215名、もはや絶望しかなかったそのとき、トルコの飛行機が2機、日本人のために席を譲ってくれたのです。トルコの人々は陸路で脱出しました。
「私たちはエルトゥールル号の借りを返しただけです」
後に駐日トルコ大使はそう語りました。日本人の中で忘れ去っていた恩を、トルコの人々は95年間ずっと思い続けていたのです。もう感動しかありません。涙しかありません。それを映画にした田中監督が素晴らし過ぎます。「トルコ記念館」はその絆の証なのです。めちゃめちゃ感動します。人が人を助ける、こんな当たり前のことができてない今の世界の首脳たちは是非串本町に、このトルコ記念館に足を運んでほしいと思います。そして『海難1890』を観てほしいです。
超有名人に会いに
帰りに串本の海に生息している魚だけを展示した「串本海中公園」に寄り、魚に癒され沈む夕陽を眺めながら本日の宿に到着しました。白浜の海を望むB&Bの『Sampark』さんです。昨年は本当にご心配&ご迷惑をおかけしました。ちょうどアラートが鳴って2泊を1泊にしてもらって急いで福井に帰ってからちょうど1年。今度はゆっくり過ごします。
食事は白浜銀座近くの『和華』さんで温泉を使った料理やウツボの刺身など、ここでしか食べられないものばかりを。そしてこのお店の奥さんで、白浜で知らない人はいないくらいの有名人・ひろみママの『ムーンライト』へ。ひろみママとはちょくちょくメッセンジャーでやり取りをしていて、お互いの活動は知っています。まぁ本当に活発で。大ママが昨年亡くなったときも献杯に500人強が訪れたそうです。忙しい中いつもありがとうございます。また白浜に行くときは寄せてもらいます。もはや手に入りにくくなったひろみママのビール『みつばちエール』は大事に飲みます!
同じ空気感
さて3日目。もう帰るだけの予定が、初日のジャンさんとの会話で行く先を決めました。「高野山」です。伊勢に行き、吉野に行き、熊野に行っておいて、高野山行かないのは歯抜けだろうと、ある程度の余裕もあるし行けると、温泉も入れると、朝ごはんを8時にセットしました。その1時間前、7時には宿の隣にある「来迎寺」でお勤めとヨガというオプションに参加することに。
このお寺は浄土宗、法然上人が興した宗派ですね。福井によくある浄土真宗との違いといえば、念仏を唱えれば極楽浄土に行けるのが浄土宗、阿弥陀如来の教えを信じていれば極楽浄土に行けるのが浄土真宗と、まぁほぼ一緒だけど、浄土真宗の方がゆるいかな、という感覚です。人を救いたい阿弥陀如来がみんなを救ってくれるよ、という教えです。ホントざっくりと言えば。
このね、座って行なうヨガがまた、運転ばっかりしていた自分にとって効いたんですわ。知らず知らずのうちに体が硬くなっていたので、いい感じで体も温まりほぐれました。そしてめちゃめちゃ体にいい朝食。スーパーフードのドリンクだけで満足するくらいのレベル。加えて手作りのグラノーラに手作りのパン。相当おなか一杯です。
でまたね、宿の橋本さんご夫婦と話し込んじゃうんですよ(笑)。なんか近しい空気感なんですよ。8時から、ご飯食べながら話して、気が付けば10時30分。多分高野山に行く予定がなかったら、お昼も食べながらまた話していたかもしれません(笑)。それくらい話が弾む二人なんです。『霧の郷たかはら』のジャンさんにしても『Sampark』のお二人にしても、嫁は自分と気が合う人を良く見つけてくるもんだ。まぁ18年も連れ添えばそうなるわな(笑)。
最後の目的地
さて、途中“日本最強の温泉”・花山温泉でひとっ風呂浴び、今回の旅最後の目的地・高野山へ。本当は龍神温泉に、と思ったけど、昨日からこちらも雪模様で早速通行止め…。でも、遠回りだけど高速を使う方がワインディングロードを進まなくてもいいのでよしとします。ま、最後の数キロはワインディングロードなんだけども。
実は高野山は初めて訪れる場所で、地図で見れば山の中に突然平野があって、高校も大学もあって一つの自治体・高野町にもなっている場所。昔、この高野山大学の密教学科というのにちょっと興味が湧いたこともありまして、一体どんなところなんだろうとも思っていたんです。標高も東京スカイツリーよりも高い場所、本当にこんなところに町はあるのか、と思うくらいのその場所に、どでかい門が。ここが高野山の入り口なのか、と入ってみると…。
もう町やん。ホントに町になってるやん。あんだけ山道を進んで、東京スカイツリーよりも高いとこまで来たのに、町やん。最初、きっと何もなかったところを切り開いて平地にしていったんだと思ってたんです。だってこんな山奥にポツンと平地があることが不自然だと思ったから。
でも違いました。初めから平地だったようです。弘法大師はこの地をよくもまぁ見つけなさったもんだと、普通ならばここに平地があるなんてわかりゃしないのにと。まさに“呼ばれた”んでしょう、弘法大師もまたこの地に。こんな奇跡のような発見だったもんだから、空海のスーパースターぶりにさらに尾ひれはひれが付いて、修行地選定における伝説になっているわけで。
町を挙げての世界観
この町に入ったとき、ちょっと思ったんです。きっと平泉寺も吉崎御坊もこんな感じだったんだろうな、って。こんな感じで宗教都市を築いていたんだろうなって。全部残っていれば、こんな感じで世界遺産になっていたんだろうな、って。人の営みに「たられば」は存在しませんが、ずっとそんな感じでこの町を見ていました。すべて隔絶された、でも現代の空気もある、それでいて凛とした空気。もっとゆっくりいたいと、車ではなく歩き回りたいと思いました。ここは数日間いても飽きないと直感で思いました。まさに“呼ばれた”感じでした。
金剛峯寺だけを拝観して帰りました。弘法大師が今も瞑想しているという信仰は、西洋人にとってこの上なく魅力だそうです。和歌山県の外国人宿泊客の約70%がアジア圏なのに、こと高野山だけに絞ると北米・ヨーロッパ・オーストラリアからが約85%という驚異的な数字。
ジャンさんが圧倒的に高野山が人気、という意味が、この地に訪れてみてよくわかりました。この自治体全域が聖地なんです。お土産物屋さんもそれを理解しているのだと思います。余計な手招きで客の呼び込みなんてのはナンセンスなんです。凛とした世界観を、町全体で作り上げている感覚です。それこそが必要なんです、自分たちの街でも。
自分が呼ばれたのは…
こんなにぎゅうぎゅうに聖地を詰め込んで、欲張り過ぎの2泊3日でした。ありえないスケジュールでした。無茶し過ぎました。帰りの道中、ふと考えたんです。“呼ばれる”という言葉を何度も耳にしたのですが、自分が一番呼ばれていたのは“ワインディングロード”だったんじゃないか、と。走ることの楽しさに“呼ばれて”いたんじゃないか、と。
車の運転は好きです。今回の約1200㎞の行程もすべて一人で運転しました。でも、本当に乗りたいのはマニュアル車。家族で乗るので仕方なくオートマ車に乗っていますが、運転する楽しさを、刺激を、感動を、本能が求めていたんじゃないかと、ふと感じました。あぁ、そうか、道が呼んでいたのか(笑)。
今回も多くの発見と感動がありました。得るものもたくさんありました。自分には珍しく、お守りもたくさん買いました。寺社運営のためのささやかな寄付と同時に、霊験あらたかな場所の力をほんの少しだけ分けてほしい思いと、コレクター魂に火が付いた感覚と(笑)。いくつかはおすそ分けします。1200㎞のパワーをもらってやってください。
久しぶりの長文、最後までお読みくださりありがとうございました。