ムービーハッカソンやり切りました

ここしばらくの自分のSNSは映画一色、でした。9月13日~15日の「ふくいムービーハッカソン」、そこからの10月10日~13日の「札幌国際短編映画祭」参加、11月7日~9日の「第10回 福井駅前短編映画祭 supported by 天晴データネット」までの怒涛の3カ月が始まっています。つまり、これからも映画ネタのSNSはアップされ続ける、ということで。あ、毎週ビールのアップはしているか(笑)。
ということで、今年も9月の3連休に「ふくいムービーハッカソン」を実施しました。いやー、心底疲れた…。この3日間でドリンク剤何本飲んだんだろう…。でも、みんな揃って「ハッカソンロス」になります。それくらい集中して、それくらいみんなの“ものづくり”情熱が沸騰する3日間でした。

特に今回は『天晴データネット』さんの社員さん150人が参加してくれて、大人数での撮影となりました。『天晴データネット』の皆さん、ありがとうございました、そしてお疲れさまでした!
今回撮影した作品はムービーハッカソン史上最大の7本! 『天晴データネット』さんの社員さんで撮影した作品が5本、そして昨年の「福井駅前短編映画祭」で福井駅前賞を受賞した加藤也大監督、そして福井で映画監督も行なう反保シュウジ監督の2作品を撮影しました。
セレクションの仕方が…!
じゃあ7本を上映するか、といえば、そうではありません。『天晴データネット』さんの社員さん5本のうち、1本を社内コンペで決定して3本を上映します。その社内コンペがビックリ! 何がビックリって、セレクションの仕方。1/3票は社員、1/3票は社長、そして1/3票はAI!
AIがセレクションするって聞いたことない! 聞けば作品を全部Aiに読み込ませて、人間側のセレクション項目に合っているかを聞いて100点満点中何点かで決めるというやり方。さすがシステム開発会社。やることが先進的すぎる…。
さて、これからは作品の審査、パンフレット・ポスター制作のためのクリエイティブ、ノミネート作品関係者への依頼、トークイベント関係者への依頼、等々があります。来月もやっぱり映画一色になりそうです。
映画祭も今年で10回目なので、3日間開催しますが、映画祭は8日のみです。7日は「ふくいムービーハッカソン」に関わってくださった方とのトークイベント、9日は全国の映画祭関係者をお呼びしてのトークイベントを開催します。チケットはこれから作ります(汗)。前売り券も手売りしますので、新栄商店街に来てください!
そして禅の話に

が、それ以外には編集の仕事もしているので、制作物をいろいろと手掛けてもいます。その一つが曹洞宗大本山永平寺、です。前回のブログでも書きましたが、これまで「禅の里 文化観光物語」を執筆してきました。その最終章(多分…)も書き上げ、書籍化へと進めている段階です。
正直、永平寺の取材執筆は楽しくて仕方ありません。最終章も5日くらいで書き上げました。原稿用紙にして約20枚分だから、自分のブログのスピードからすると遅いほうですね(笑)。まぁ、いろいろと調べながらの執筆だったので遅くなったんですが…。
そういえば、初めてAIなるものを使いました。調べ物をするにあたって、日本や中国からの資料から集めることになるので、これは調べてもらうのが早いな、と思って。もちろん執筆はそんなのに任せられない、というか任せたくない、というか、自分で書きたいので全部書きました。
昔、競馬のことをAIに聞いてみたんですが、もうトンチンカンな答えしかなかったので信じられなかったんですが、こういうのはまぁ信じてもいいのかな、とは思いました。が、多用するつもりはないです。やっぱり調べものって、それだけじゃなくて気になるものが派生していく感じがして、ピンポイントで聞くのは広がりがないよな、とは思いました。
禅とは何か

てなことで、永平寺について、禅について知り、書いていくと、自ずと「禅とは何か」というのがおぼろげに見えてきます。昔、大学院で民俗学を専攻していたときに宗教について少しかじったことがありました。そのときの感覚、そしてその後のいろんな書籍などを鑑みて、一つの結論に至りました。
「禅とは何か」という答えは「禅とは生き方だ」ということです。永平寺は禅宗とカテゴライズされ、曹洞宗という宗派は仏教のいち宗派であり、仏教とは宗教である、という常識はこの先覆ることはないでしょう。しかし「禅とは何か」という問いに関すると、それは宗教という概念を超えていくものだと、感じています。
永平寺=曹洞宗=仏教=宗教、という図式ですが、この図式に「禅」という言葉は入っていません。そもそも論ですが、永平寺を開いた、日本曹洞宗の開祖でもある道元さんは、自らの組織を「曹洞宗」とは名付けていません。後世に名付けられたものです。道元さんはあくまでも「禅」の道を究め続けた人で、その姿勢に惹かれ、多くの人が集まり、永平寺が生まれたんです。
鎌倉仏教の中に

しかし、当時の時代は本当に過酷なものでした。江戸時代が訪れるまでの約600年、国は荒れに荒れまくっていたんです。そんな折、仏教は人を救う存在であるのに誰も救わないじゃないか、って庶民の困窮する姿に立ち上がった、というか、組織を大きくしていった人たちがいました。それが「鎌倉仏教」と呼ばれる宗派でした。主要な6つの宗派、学校で習いましたよね。今も覚えていますか?
曹洞宗はその一つに並ぶことになりました。それが確立していったのは、道元さんが亡くなってからずっと後のこと。でも、当時の天皇に認められ確立したからこそ、今でも「禅」は伝わっている、という見方もできます。大きい組織は力を持つ、これはいつの時代も、どの世界でも変わらないものですね。
さて、「禅」という生き方。禅=坐禅のイメージですが、坐禅することがすべてというわけではないです。仏門に入らなければ究められない、ってわけでもないです。頭でっかちに書物を読むだけでは理解しきれません。日々の暮らしの中に「禅」という考え方を取り入れる、と言えばいいでしょうか。
「縁」

で、その中で一番核になるのが「縁」という言葉。もうこれに尽きるんですよ。人との出会いを大切にしましょう、ということです。偶然出会うことも、当たり前のように出会うことも、物事を依頼されることも、目の前で起きる現象も、すべては「縁」なのです。
その出会いをいいものにするかどうか、いわゆる良縁にするか悪縁にするかは自分次第、ということ。つまり、自分の心ひとつで物事は変わる、ということなんです。
最近、近しいところでこういう人の話を聞きます。「自分のせいじゃない」、「自分は悪くない」と責任を他に転嫁する人。でも、それも依頼された「縁」があり、受けたのは自分であるから、「受けた」という責任は自分にあるわけです。それを責任転嫁する人って「悪縁」に変えてしまっているんですね。
その逆にいる人、つまり責任転嫁された人。「なんかとばっちりを受けた」と怒りを表すこともあるでしょう。しかし、それはその責任を転嫁させられる「縁」でもあるわけで。その怒りを、その「縁」をプラスに考えることが大事なのかな、って。
それはそれはとても難しい話です。どんなときでも自分の心を平穏に保つということですし、マイナスに考える方が、実はプラスに考えるよりも簡単なので、水が低い方に流れるように、心も楽な方を選んでしまいがちです。
人は人である以上、その感情、というか煩悩から逃れることはできません。だからお坊さんは修行するんです。永平寺で長年修行されているお坊さんにお話を聞いて感じるのは、そうした感情的、激情的な人はいない、ということです。
「良縁」を探し求める

自分はこれまでも、ほとんど怒ったことがありません。夫婦喧嘩もしたことがないし、サラリーマンのときも怒鳴ったり怒ったり、声を荒げたりしたことはありません。怒るのが苦手だから(汗)。
だから、いろんな人間関係の中で、どうやったら平穏で関係を築けるか、という「良縁」を探し続けている、という感じなのかなぁ、もしかしたら。なので激情型の人は特段避ける傾向にあります。いわゆる「縁」を作らない、という選択です。
激情型は基本的に自分の非を認めない傾向にあるかな、って、これまでの人生経験の中で感じています。自分が正しいと、自分以外は正しくないと、相手の価値観を認めようとしない、と。でも、そういう人って、信頼されるんやろか、って思ってしまいます。
そういう人って、ヒエラルキーの頂点に行きたがる、って傾向も感じます。いわゆる、このブログサイトで散々言っている「役職」と「役割」を間違えている感じ。そういう人が組織の長になったとき、組織が瓦解するのは、日本史・世界史の教科書にたくさん載っています。
道元さんが「組織の長になりたい」って思っていたら、人は集まっていないと思います。ずっと自分たちの活動に組織名を付けていなかったのは、ひとえに「純粋に修行をして、その教えを多くの人に伝えたい」という心ひとつだったからではないかな、と。
結果的に組織になったのであって、組織を作らんとして行動していたわけではないんだなぁ、と、感じています。ただひたすらに、お釈迦様から達磨大師へとつながる「仏の教え」を学び、実践していたんですよ。
その背中に人は付いていった。それが、いわゆる今の日本の曹洞宗の黎明期なのであって。その「仏の教え」が、いわゆる「禅」という形なんだな、って。だから宗教というよりも「禅」という教え=人としての生き方、なのだと、今は感じています。
そしてZENへ

これまで書いてきたことがすべて正しい、とは思っていません。曹洞宗の草創の歴史も、過去の資料だけが参考になっているので、真実はわかりません。激情型の人にとっては耳の痛い、いや、そもそも自分が激情型だとは思っていないから、何も感じていないか。それ以上に、そもそもそういう人はこのブログ見てないか(笑)。
ただ、道元さんの歴史、そして今に至る「仏の教え=禅」に関しての知識や情報量は、永平寺のお坊さんには間違いなく敵わないし、そのお話を聞く機会があるというのが、この街での幸福なことだと、思います。
その機会とは「ZENカンファレンス2025」。11月16日です。定員50名ですが、もう半分くらい埋まりました。「禅とZEN」、いわゆる「禅」を現代語訳したようなイメージかな、自分にとっては。このブログだっていわゆる「ZEN」の方かもしれないし。
このイベントができるのも福井県ならではです。やっぱりやるからには続けていきたいよね、って思いますし、そのためにも県内の人、特に永平寺町内の人には積極的になってほしいかな、って思います。永平寺という“宝”を”宝”と思えるくらいに。
メンバーみんなで愉しみながら作り上げていくので、是非参加してくださいね。懇親会もありますよ(笑)。
