旅と観光って違う
北陸新幹線が近づいてきています。エキマエにいると、今の仕事をしていると、そういう空気をひしひしと感じます。
「福井を発信していこう」
「恐竜推しですよ」
「再開発進んでます」
「観光地を整備していきましょう」
「新しい施設がオープンします」
などなど。官民挙げてのとてもいい流れだと思います。もちろん自分もその流れに乗ってます。
そういう中で、まぁ、言葉的なものではあるんですが、「旅」と「観光」は違うんではないか、と感じるようになってきています。
観光って、辞書を引くと
「風景や史跡などを見て回ること」
なんですよね。っちゅうことは、前回の与論島編で書いた「Seeing」が該当するわけですよ。ん? ということは、観光地整備ってのは昭和の取り組みなんじゃないか? ってことになる?
いや、もう令和。観光地整備は今の時代に合ってるのだろうか? という思いに駆られてしまうのです。もちろんね、きれいに整備するのはいいんですよ。だってきれいなほうが汚いよりもいいですから。
ただ、ここ間違えないでほしいのが、汚いと古いは違う、ということです。古いのはそれだけ街の歴史を刻んできたということですし、それは大事にしなきゃ、って思うはずです。生かし方次第で次にも繋がります。スクラップ&ビルドとリノベーション、両輪でまちづくりをするから面白くなるのかな、って思います。
再開発って観光じゃない
でもって、エキマエは再開発で盛り上がってるんですが、ちょっと待ってって思ってしまったんです。再開発は観光ではないんですよ。風景でもなければ史跡でもありません。そりゃそうですよね。歴史にしてもゼロからのスタートだし、景色にしてもどこかの街の再開発のマネのマネのマネの…、ってな姿ですから、「どっかで見たことある風景やなぁ」で終わってしまうわけです。
なので、あくまでも再開発のターゲットって対内的イコール福井県民ってことなんだと思うわけです。ってことはですね、再開発ってのは、県外から駅に降りた人に対して見栄えとしてだけの目的、ってことになりませんかね…。開業から一年遅れで完成って話ならば、尚更再開発って必要やったんやろか、ってことになってしまいそうな…。そしてでき上がった後も「他でも見たことあるなぁ」で終わってしまうような気もしないでもないというか…。
フードコートとかあるし、ホテルできるし、ってあるから、少なくとも対外的な部分ってのもあります。シティホテルができるってのは、確かにおもてなし、という面では福井のためにもいいですよね。シティホテルであれば。フードコートは対外的というよりむしろ対内的な要素が強いので、間違いなく県外の有名店が入ってくると盛り上がるんですよねぇ。だって平日のほうが休日よりも多いし。1年くらいずつでいろんなお店が入れ替わりになると、「このときに食べなきゃ!」ってみんな行列作るし、それが毎日のように起きていたらワクワクします。
あとはマンションとかはいいとは思ってるんです。県外の方の移住先とかビジネスのための拠点作りとかで購入していただけるととてもありがたいなぁ、って。それに、県内の人の居住先になってくれるのも嬉しいんですよ。やっぱエキマエに人がいるほうが、県外から来られた方々にとっても賑わってる感があるほうがワクワクしますからね。
ワクワクするのが旅
そう、ここです。人って、ワクワクしたいから旅をするんだろうな、って。美味しいものを食べるワクワク感、素晴らしい景色を眺めるワクワク感、ってのはあるんですが、そのワクワク感は一回こっきりではないだろうか、なんて思ってしまうんです。「あー美味しかった」、「あー良い景色だった」と、写真を撮って満足してしまうというか。「うん、あそこ一回行ったからもういいかな」って。
「待って待って。宿とかリピーターいるやん」って声あると思います。そこです。ここなんです。
リピートって、観光地よりも宿泊先のほうが多いと思いませんか? 観光地をリピートしたい、と思うときって、「また見たーい」、よりも「また体験したーい」、よりも、「またその場所の雰囲気に身を置きたーい」ってことが多いのではなかろうか、って。
で、宿泊先をリピートしたいときは「その宿の雰囲気に身を置きたーい」なんだと思うんです。昔だったら「せっかく来たんだから、あそことあそこを回って、あれを食べて、あれをして」みたいに、駆け足で過ごしてた記憶ないですか? それがまさに昭和の旅行。「せっかく来たんだから」が最初にあったと。当時は旅行をすることが人生でのかなりのイベントだったからだと思うんです。休みも取れない、交通費も高い、次はいつ行けるかわからない、そんな感じだったはずです。
今、どれだけ交通費が安くなってますか? どれだけ有休取りやすくなってますか? 昔と比べれば段違いです。そりゃ旅行行きたくなりますよ。何回も行けますよ。そうなったら、「せっかく来たんだから」という思考はないです。その中で「また来よう」と思わせることが大事なのではないでしょうか。
また来たい街とは?
じゃあ「また来よう」の思考は、いわゆるリピーターの思考はどこにあるのだろうと考えると、「居心地が良かった」になるのだろうと。
じゃあ「居心地が良かった」の基はどこにあるのだろうと考えると、きれいな景色でもなければ、美味しいごはんでもなく、人なんだろうと。
じゃあ、居心地が良い街を作る人ってどんな人?
単純明快、ポジティブな人です。
いつも不満を漏らしている人の話を聞くのって、辛くないですか? 思うんですけど、口から出る言葉がネガティブだってことを気付いていない人、多いんじゃないか、って。不満はもちろんなんですが、批評だけの人も実はネガティブだと感じています。行動が伴っていないと、言葉が薄っぺらくなってしまっていて、そういう人は周りから突っ込まれるんです「じゃあやってみろよ」って。
まあ、そこからはお決まりの、言い訳をして動かない、ってコースですねぇ。ネガティブワードって、自分を周りの脅威から守るために、また、自分を何とか社会で維持するために発する言葉なんだろうな、って。できる方法を考える前に、できない理由を考えてしまう、という思考サイクルです。
でもって、これもお決まりで続くんですが、「私は頑張ってる」、「私はちゃんとやってる」、「私のことを理解してくれない」などなど。自分の評価は自分でするものではなくて、周りがするものです。一所懸命自分を守りたくて、つい口にしてしまうパターンですね。それはとどのつまり、自分の役割が周りの求めることに足りていない、ということに気付いているけれど、突っ込まれるのをわかっているから、自分を守ろうととっさに口にしてしまう、というやつです。まぁ、それでさらなる深みにはまっていってしまうのですが…。
あとは単純にやる気がないか、ですね(о´∀`о)
旅の原点になるもの
ポジティブはその真逆です。できない理由は考えません。どうやったらできるだろうか、といつも考える人です。なぜそうなるのかというと、それが楽しいからです。みなさんも興味があることはずっと続けられるはずです。それと一緒みたいなもの、かな。つまり、毎日福井での楽しいことを考えて生きている、ってことです。
楽しいことを考えていれば、楽しいことを行動に移していくので、周りからは「楽しそう」と映り、「一緒にワクワクしたい」となっていきます。ここです。「一緒にワクワクしたいから、その人のいる街に行く」、これが旅なんじゃないか、って。
じゃあ、「ワクワクさせてくれる人はどうやって見つけるの?」って質問も出てきそうですが、地方にいてもSNS全盛の今なら世界に発信し、受信することも可能だったりしますし。それでも、そういう人は積極的に外に出て発信していくことが一番早いかも、とは思います。
人は人に会いに行く、これがこれからの旅の主目的になるだろうと。そこから数珠つなぎのように、楽しい人と出会っていくことで、「この街ワクワクするなあ」になります。人は一人ひとり違いますから、「どこかで見たことあるなぁ」は一切ないでしょう。つまり、会いに行く人の場所が観光地になる、という感じですね。
それこそ10年ほど前に作った書籍「福井人」、そして先日完成した「福井のPin!」、今回のお話と同じコンセプトだと思います。「福井人」は今考えると時代をかなり先取りしてたと思うんです。「福井のPin!」でちょうどタイミングが合った感じです。
そしてこれから。何をすべきなのかを考えたとき、「一緒にワクワクできる人」をこの街で作ることです。中心人物になろうなんて思いはありません。自分は明日死ぬことだってあります。だからワクワクの種をどれだけ、生きている間に蒔いていけるか、それに尽きるな、って。
前例がないことは、どうしても否定的になってしまいます。関わってきた中で否定的に扱われなかったのって、映画くらいじゃないかな…。前例がないことは、どうしても二の足を踏んでしまいます。でも、誰かが勇気を持って踏み出せば、新しいものが見えてくるんです。それが前例になるんです。せっかく一度しかない人生なんだから、みんなで楽しいことしましょう!
見澤 りか
人がワクワクの空気をつくる、にとても共感いたしました。思い返すともう一度行きたい(泊まりたい)と思った場所はきさくなおばちゃんがいる宿だったり、町の盛り上げるぞという雰囲気だったり、体験でめっちゃおしゃべりしたスタッフさんがいたり、そういうところです。
福井もまたきたーいと思ってもらえるようなワクワクな場所になれるよう、ポジティブに楽しんでそれが誰かのワクワクになれたらいいな!
宮田 耕輔
コメントありがとうございます。みんなでワクワクすれば自然とこの街が楽しくなっていくと思います!