「こんなにも泣けるのか」。
今さっき読了したばかりの『横須賀1953 「混血児」洋子=バーバラの旅』。率直な感想は、本当に「こんなにも泣ける物語なのか」と。Facebookのメッセンジャーから始まった、戦後日本の“語り継がれなかった”歴史をたどるノンフィクション。この書籍を執筆したのは和歌山大学観光学部教授木川剛志くん。我が“戦友”の一人です。
木川くんとは

木川くんとは、今から15年以上前に出会いました。当時、福井工業大学准教授でずんぐりむっくりの関西弁をしゃべる先生、というイメージだったかな。ま、それは今も変わらないけど(笑)。今でも覚えているのは、新栄商店街でナイトミュージアムというイベントをしていたときに、スクリームのお面をかぶって登場してきたこと。何故このときの印象だけが残っているかわからない(笑)。
その前後だと思いますが、福井市がアートイベント「フクイ夢アート」という事業を開始します。約6年ほど行なっていたのですが、そのときに実行委員として呼ばれたときに木川くんとじっくり話す機会が生まれます。その前年に、書籍にも書いているのですが、俳優の津田寛治さんをお呼びしてトークイベントを開催し、この事業の中で「津田さん監督で映画を撮りましょう」と呼びかけることになったのです。
そのときに、何故か、本当に何故かわからないのですが、木川くんから「宮田さん、プロデューサーやってください」と。「何で俺なん? プロデューサーって何すればいいん??」。「いや、宮田さんはいるだけでいいです。いることで安心できるので」。「?????」。
とまぁ、ここから自分と映画のつながりが生まれていきます。本当に何をすればいいかわからなかったし、そもそも撮影が平日に行なわれていて、前職の仕事が山ほど案件があって、おいそれと現場に見に行くことも出来ない状態(当時、自由に外に出ることが難しい職場環境でした)なのに、なんでプロデューサー?
でも、確かに資金集めで木川くんと奔走したのは覚えています。当時クラウドファンディングという言葉がなかった時代に、いわゆるクラウドファンディングを行なっていたのだから。『月刊ウララ』で資金集めの誌面を作ったら、市民の皆さんが資金を市役所に持ってきてくれたり、企業にも回って資金調達をしたり、そういうことをしていたのを覚えています。あ、お金を集めるのがプロデューサーの仕事の一つか、と、そのときちょっと認識しました。

完成した『カタラズのまちで』はその後、『ショートショートフィルムフェスティバル』という日本でも大きな短編映画祭でグランプリノミネートされて、みんなで明治神宮に行ったこともありました。そして「フクイ夢アート」で企画された『福井駅前短編映画祭』は、木川くんに誘われるまま関わるようになり、今では実行委員長にもなり、今年で10回目も迎えることになりました。あ、今年もクラウドファンディングしているので、ぜひ応援してくださいまし!
その後、「日本国際観光映像祭」を立ち上げ、審査委員にも呼ばれ、そのつながりでさらに広がりも出てきて、与論島や阿寒湖にも行ったりと、離れていても何かと関わる機会を持っています。
1通のメッセージ
その彼が、ある意味ずっと関わってきた“家族”がありました。その家族が住んでいるのはアメリカ。2018年に、ある1通のメッセージがFacebookのメッセンジャーに飛んできます。その相手は「木川」という珍しい名字の人たちに送ったとされるのですが、自分の母親の名前が、日本名で「木川洋子」ということで、かすかなつてを頼りに母のルーツを探りたいとのことでした。
簡単だろうと思って受けたその内容はしかし、やがて果てしなく長く、果てしなく遠い、そして果てしない“歴史の闇”に彼をいざなって行ったのです。その道程は是非書籍を読んでほしいのですが、とにかくこの話は、戦争によって子供とその母親が苦難の道を歩んできた物語なのです。
今回たまたま彼の名字と相手の名字が同じだったことから始まったのですが、この書籍に出てくる人たちが、時に明るくふるまいながら、ふとさみしさを見せる情景は、“語り継がれない、いや、語り継いではいけない”かのような重苦しい空気をまとっていました。
消し去られる歴史

私たちは学校で歴史を学びます。Youtubeなどで歴史の動画を見たりもします。それは大きな川の流れを橋の上から眺めているような感覚とでもいいましょうか。どうしても日本では受験という壁を突破するための歴史の授業になりがちで、その川の奥底にある小さな石ころの歴史を知ろうともしません。川面に近づいて水を掬い上げるようなこともしません。
そして、歴史とは文字があってこそ成立する学問で、文字で残らない、文字で残さない、文字で残せない歴史は、いつしか誰も彼も記憶から消し去られていきます。彼が直面したのもまた、そんな歴史でした。もちろん一人ひとりの記憶には残っていますが、それを書き留める人が、聞き覚えて後世に伝える人がいなかったのです。
彼が奔走した横須賀の街は、一般的には「スカジャン」とか「軍港」とかイメージされますが、そのアメリカへの憧れでは済まされない、もう一つの横須賀のイメージもありありと文字で映し出しています。彼はその世界に足を踏み入れ、そして真実へとたどり着いていったのです。
それが、図書館で読み漁った文字の情報ではなく、そこに息づく人たちの生の声だからこそ、その歴史、その世界はよりリアルさをもって迫ってきました。結末へのその物語はまるで小説を読んでいるかのような、しかしそれがすべて真実であるということで、読みながら心臓の鼓動が早くなっていくのがわかりました。そのクライマックスへ向かっていくシーンは、正直涙なしには読めませんでした。
この物語を映像にして、ドキュメンタリー映画『Yokosuka1953』は生まれるのですが、書籍はもっと深く、もっと彼の視点がふんだんに盛り込まれ、より心に刺さってきます。この映画は海外の映画祭でいくつも賞を獲得し、全国での上映会や劇場公開も行なわれています。この書籍ではその当時の苦悩も記されていて、そこはスピンオフ的ではありましたが、それを過ぎて最後の最後に本人と出会うことでこの本は終わります。読了まであっという間でした。
世界を見渡して
この物語の主人公であるバーバラさんは、“語り継がれない物語”の一人です。書籍を通じての彼の調査の足跡から、もっと多くの、もっと悲惨な物語があったのも事実です。そしてこれは決して日本だけの問題ではない、ということでもあります。書籍にも書いてありましたが、ドイツでは“語り継いではいけない”のだそうです。
今、世界中ではたった一人のエゴが衝突を生み、それに巻き込まれた人々は同じような運命をたどっているのかもしれません。ロシアとウクライナ、イランとイスラエル、インドとパキスタン、中国とインド、etc…、それ以外にも日本のニュースでは報道されることのない衝突が世界中で起きています。そしてその犠牲になるのは女性と子供です。
ちなみにフォーカスされやすいのが女性と子供ですが、戦争に駆り出された兵士たちもまた、犠牲者なのかもしれません。この書籍では言っています。誰かを糾弾するために伝えたのではない、と。しかし私たちは、身近なところで、平和な街が実はたった数十年前にもそうした事実があったということを読み、理解し、戦争という誰も何も得しない、野蛮な行為をいかにしないでおくかを考えたほうがいいのかもしれません。
私たち一人ひとりは大国の蛮行を止める術を持っていません。自分一人の力ではどうしようもないことに怒り、罵り、独り言ちるのではなく、自らのどこかに潜んでいる野蛮な精神を、いかに表に出さずに理性を保つことができるか、ということなのだと思います。数十年前の事実かもしれませんが、明日同じことが起きないという確証は、この世界では持てません。そのとき自身の心の野蛮さを表に出さないという確証も持てません。
この書籍の中にも、一般の人たちの野蛮さは登場します。戦争という大きな話ではなく、小さな世界の小さな生活の中でも、対象者にとっては小さくない野蛮な行為が起きています。きっとこれは現代でも起きている話なのではないでしょうか。だからこそ、自らを律する。律しようと誓う。だからこそ、自分はこのブログの場所に辿り着いたのかもしれない、そう思いました。
この書籍は発売したばかりで、全国の書店もしくはオンラインで購入できます。そして映画も福井で上映できるよう、今働きかけています。何故なら、この映画が完成したのも、この書籍ができたのも、きっかけが福井での生活、福井での活動だったから。彼の目を通して見える福井、というのも、この書籍のテーマの一つなのかな、そう思いました。

